電源開発の推進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 15:57 UTC 版)
「中央電力 (1938-1942)」の記事における「電源開発の推進」の解説
以上のように事業者の統合・整理を推進する一方で、中央電力は短期間ではあるが電源開発も展開した。中央電力時代に竣工した水力発電所は長野県内に2か所存在する。 まず1940年(昭和15年)2月、米川発電所が竣工し、25日より運転を開始した。同発電所は下伊那郡泰阜村大字黒見に所在。千代村(現・飯田市)にて天竜川支流の米川より取水、4.6キロメートルの水路により導水して発電する。旧南信電気が1936年5月より土地測量に着手し、翌年7月に水利権・工事実施認可を取得、1938年2月に着工していた。発電所出力は3,250キロワットであり、発生電力は東邦電力へ送電された。 次いで生田発電所の工事が進められた。同発電所は下伊那郡生田村(現・松川町)の宮ヶ瀬に所在。大鹿村の落合地区にて天竜川支流の小渋川より取水し、川沿いの地下水路にて生田村部奈に設けた上部水槽まで導水、落差を得て発電する。発電所出力は2万500キロワット。発電所建設は伊那電気鉄道により計画され、中央水力によって具体化されたのち、中央電力発足後の1939年10月に着工された。翌1940年12月に一部運転を開始し、1941年(昭和16年)3月に竣工をみた。
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