雲南王竜雲とは? わかりやすく解説

雲南王竜雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/08 12:44 UTC 版)

竜雲」の記事における「雲南王竜雲」の解説

竜雲国民政府から、同年8月には国民革命軍38軍長任命される1928年民国17年1月には雲南省政府主席国民革命軍13路軍総指揮(第38軍長兼任)に就任した1929年民国18年春には討逆軍第10総指揮(第38軍長兼任)に任命されている。これ以後1945年民国34年)までの統治により、竜雲は「雲南王」と称された。 この間国民政府中国国民党内の争いでは、竜雲蒋介石支持堅持する1929年民国18年)、竜雲は滇軍を貴州省送り込み李宗仁新広西派与する貴州省政府主席周西成攻撃して、これを戦死させた。1930年民国19年5月には、盧漢らを広西省侵攻させたが、省会省都南寧攻略できず、撤退した1931年民国20年3月盧漢配下軍人たちが、竜雲に対して兵変を起こしたが(「3・10政変」)、竜は何とか盧らを降伏させている。 竜雲雲南省統治は、繆雲台繆嘉銘)・陸崇仁など優れた官僚たち支えもあり、内政でも経済・社会教育等多方面における近代化建設堅実な成果をあげた。当時雲南興隆には、蒋介石宋美齢陳布雷らも絶賛与えているほどである。 1937年民国26年)に日中戦争抗日戦争)が勃発すると、竜雲抗日統一戦線支持した。竜は、盧漢率いる滇軍(国民革命軍60軍)などを派遣しまた、昆明後方基地として堅持するなど、日中戦争勝利多大な貢献をする。なお、1938年民国27年)に汪兆銘汪精衛)と会談しているが、これを支持することはなかった。 しかし、日中戦争通して蒋介石下中勢力雲南省内に浸透介入してきたため、「雲南モンロー主義」を望む竜雲は不満を抱くようになる。そのため、竜は1944年民国33年)頃には中国民主同盟(民盟)に秘密裏加入したとされ、さらに中国共産党との関係強化した。この結果、蒋は竜の排除決断する1945年民国34年10月に、昆明駐留していた中央軍杜聿明率いる軍は、五華山(省政府政庁所在地にあった竜を突如襲撃し、これを拘束した

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