雑誌化する新書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/18 18:03 UTC 版)
2000年代後半より、新書の雑誌化が指摘されるようになる。2007年3月の新潮新書の「今月の編集長便り」は「「雑誌化」って何?」と題したもので、最近の新書は雑誌化してしまって駄目だという言葉をよく聞くが、そこには雑誌を一段低く見る無意識の蔑視が透けて見えるとしている。 NPO法人連想出版が運営するWEBマガジン「[KAZE]風」は、2010年年末に「雑誌的新書はもういらない? 堅調な「歴史本」「池上本」―2010年新書事情を振り返る」と題して菊地武顕、田嶌徳弘、川井龍介の座談会を公開しており、川井は「月刊誌と変わらないという印象を受ける新書はたくさんあります。」「ビジネスノウハウ本や健康ノウハウ本の多くは、雑誌で読めば充分という内容のものをせっせと水増しして新書に仕立て上げている感じがします。」と発言している。菊地も「売るために、各編集部は相当努力していると思います。でも皮肉なことに、その努力が、教養新書というもののブランド価値を下げている。タイトルの付け方が、本の名というよりも雑誌の特集の見出しといった感じになってしまった。今や、サブタイトルなしの本が珍しいくらいでしょう。2本のタイトルが並ぶなんて、まさに雑誌的ですよ。」としている。しかし一方で、川井は「単行本で読むべき内容の新書も数多く出ています。」とも述べており、それを受けた田嶌は「新潮新書などは「新書」というスタイルに合わせて原稿を書かせているように感じます。ちゃんと、どの本も同じくらいの厚さです。それに対して平凡社や文春は、単行本的な企画を新書で出している。厚さがまちまちで、新書としての統一感がない。今の流れとしては、後者の方が多い気がします。ますます、一般の本との境がなくなってきています。」としている。 2013年4月には『BRUTUS』の元編集長で編集者の斎藤和弘が『THE FASHION POST』によるインタビューで、「いまの雑誌はストーリーを紡いでいるでしょうか?」という質問に対して、「最近、というかもともと雑誌は見ないのですが、いまってね、何かこれはとぶち当たることがない。クリエイションは不在の時代だし、あるいは不在にするしかないのかもしれないし。わからないです。不思議ないい方をしますが、紙の媒体でいくと、いまは雑誌より新書のほうが圧倒的に雑誌っぽい。なぜかというと、そこにストーリーと驚きがあるからです。新書は200ページくらいある中で、どういう物語を紡ぐかというのが確実にある。そこでヴィジュアル的なものは成立しませんが、考え方としては雑誌と似ているなと思います。1冊1冊がまさに雑誌の特集ですよね、そしてそのジャンルがやけに広い。文字だけで成立しているから、あらゆるところが可能になっている。いまは1ヵ月に10冊近くの新書を出す出版社がたくさんあるので、毎月200〜300冊くらいは出ているのではないでしょうか」と答えている。 2017年6月に刊行された『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(北田暁大、後藤和智、栗原裕一郎による本)でも「新書の新刊が月に150冊前後あるという状況が20年弱続いています」とし、新書が「雑誌の代わり」みたいになっているという指摘がある。 『教養主義のリハビリテーション』(筑摩選書、2018年5月)における大澤聡と鷲田清一との対談でも、昔の新書は骨があって読み通すのに苦労したとしつつ、対談によって一冊の新書を作る方法を例として挙げながら今の新書は雑誌的であるとしている。
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