隔週刊化とは? わかりやすく解説

隔週刊化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:14 UTC 版)

ぴあ (雑誌)」の記事における「隔週刊化」の解説

『ぴあ』に掲載する情報増える一方だったが、製本コスト抑えるにはページ数を増やすわけにいかず、そのたび活字小さくていった遂に限界達し情報の量とスピード応えるためにも、月刊誌『ぴあ』は1979年に隔週刊化した。部数減を覚悟していたものの、逆に部数伸びたこの頃から学生の間で急速に『ぴあ』が広まり始め多く若者がいつも持ち歩くようになった。また「花金」という言葉生まれたように、街での消費活動社会関心高まり週末娯楽情報源として『ぴあ』の存在感増していった。 1970年代末ビデオテックス実用化されると、矢内情報流通主戦場がいずれ紙からコンピュータ・ネットワークに取って代わられかねない危機感持ち郵政省電電公社によるキャプテンシステムへの実験参画1979年12月)、DTP への移行1980年12月)など積極的に対応を進めていった。また矢内は、公演情報興味持ってチケットを買いに行くのが面倒・買い方分からないという人が意外と多く興行界がかなり商機逃していることに以前から気付いていた。ぴあ社が蓄積したニューメディアノウハウ集まってくる公演情報結び付けチケット簡便迅速に発行するシステム矢内構想したかくして1984年4月に「チケットぴあ」が本格的にローンチした。プレイガイド行きづらい会社員も本誌を見ながら電話チケット予約できるようにしたこのシステム開始から一年本誌売り上げ凌ぐほど急成長し、ぴあ社にとって「第二創業といえるほどの成功となったチケット短時間大量発行できるようになったことで、大量動員する大規模音楽イベントロングラン公演などが増加し、そうやってマス増えたチケットを買うために本誌を買うという相乗効果生まれ『ぴあ』はさらに部数伸ばした加えて興行関係の情報一気に集まるようになり、『シティロード』や『angle』(主婦と生活社)など競合誌との差を圧倒的なものにした。 今や『ぴあ』は情報化社会先端を走るメディアとして若者文化の「ライフライン」となり、大学生協にうず高く平積みされ、1988年10月14日発売された「秋の学園祭特大号」は最高実売部数53部を記録した若者による『ぴあ』の幅広い受容から、この頃には「ぴあの時代」「ぴあ文化」という言葉すら生まれた

※この「隔週刊化」の解説は、「ぴあ (雑誌)」の解説の一部です。
「隔週刊化」を含む「ぴあ (雑誌)」の記事については、「ぴあ (雑誌)」の概要を参照ください。

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