阪急スタイルの確定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 14:13 UTC 版)
「阪急920系電車」の記事における「阪急スタイルの確定」の解説
本形式は、900形の製造時に採用された軽量構造の車体や大出力電動機といった基本的なコンセプトを受け継ぎつつ、2両編成を一単位として運用することで電動車にモーターをはじめとした電装品を集中搭載することになった。この結果、編成中の電動車と制御・付随車の比率(MT比)が1:1という経済的な編成が組めるようになったほか、保守点検が容易になり、編成単位での製造単価を下げることにもつながった。また、当時の関西私鉄では運用面での利便性を鑑みて、電動車だけでなく制御車においても両運転台式の車両が多く存在していたが、本形式では運転台の数を削減することで一列車当たりの輸送力を増加させたほか、広幅貫通路の採用で2両を1両と感じさせるようなゆったりとした車内となった。 本形式で確立されたMT比1:1の経済的編成は、一部の例外(全電動車前提の1000形や1010系の初期製造車、地下鉄堺筋線乗り入れ協定でM車を多くした3300系)を除くと一貫して継承され、広幅貫通路も長編成化による防音や車内の風の通り抜けが問題になるまで採用され続けた。900形で確立され、現在の9000・9300系に至る阪急の車両設計のスタイルが、車番の附番ルールも含めてここに確定することとなった。 本形式は「喫茶店」の愛称で知られる阪神851・861・881形や南海の南海1201形に1201形と同じ車体構造で増備された2001形モハ2017・2018号、京阪の流線型として知られる1000・1100形、皇紀二千六百年奉祝参拝客輸送用に登場した大軌1400形や参急2200系の2227以降の車両とともに、1930年代中後期の関西私鉄の車両を代表する車両となった。こうして、先に900形と前後して登場した新京阪P-6形や南海2001形、阪和モヨ100・モタ300形、参急2200系(旧)や京阪600形をはじめ、省線にもモハ43系のほか、急電向けに製造され、流電の愛称で知られるモハ52系と半流43系、緩行向けのモハ51系が相次いで登場したことから、「電車王国・関西」を代表する車両が本形式の製造前後に揃ったことになる。
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