阪妻と「森尾重四郎」
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昭和初期、「サイレント映画では、虚無的な浪人者をやらせては妻三郎の右に出るものなし」と謳われた。阪妻が最初に演じた「ニヒルな浪人者」は、『砂繪呪縛』の「森尾重四郎」だった。 1927年(昭和2年)の6月から12月まで、朝日新聞夕刊は土師清二の『砂繪呪縛』を連載。連載30回目のころに、松竹は阪妻プロでこの小説の映画化を決定。企画段階では主演は草間実で、阪妻は「森尾重四郎」役に執心していたが、四社競合製作となったため、阪妻の「勝浦孫之丞」と「森尾重四郎」二役を念頭に準備が進められ、撮入直前に阪妻の意思で「森尾重四郎」一本で行くことに決定。結果は阪妻演じる重四郎の存在感が他社を圧倒。「ニヒルな浪人剣士」の一大ブームを巻き起こした。 『砂繪呪縛』は、トーキー時代を迎えた1936年(昭和11年)、阪妻プロ谷津で阪妻主演で再映画化。さらに1952年(昭和27年)大映で黒川弥太郎主演、1960年(昭和35年)には東映で近衛十四郎主演と三度映画化されたが、「勝浦孫之丞」が主役だったのは1927年の初作のみ、再映画化三作はすべて「森尾重四郎」が主役になっているほど、阪妻の演じた重四郎は強烈なものだった。 当時、阪妻の重四郎は撮影所の所員の間でもブームとなり、真似をする者が続出。次のようなエピソードが残されている。「おい煙草はないか」と云うと静かに首を振っておもむろに「ない」、「どうだ食堂に行こうか」と云うとちょっとあいてを眼の先に引っかけて大きく頷きながら「行くことにしよう」、「おい、この間の食券返してくれよ」暫く目をぱちぱちさせながら無言でいて、「あれは返さんでもいい事にする・・・」、「手数のかかることおびただしい。」
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