開始当初の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 05:57 UTC 版)
運行開始日は運賃収入が4,805円、利用者298人と奮わず事業が成り立つのか心配されたが、観光祭(現・とまこまい港まつり)が始まった9月20日には約8倍に増加。その後も順調な伸びを示した。1952年(昭和27年)9月に上厚真とを結ぶ静川線、1953年(昭和28年)3月に錦岡線や弁天線などの市内線、同年8月にはモーラップ線の免許を受け路線を拡大。モーラップにはキャンプ場があり、これまでは支笏湖畔から船で向かっていたものをバスで直接行けるようにしたものである。その後も新規路線や既存路線の延伸開設が行われ車両を年2台ずつ増備。1956年(昭和31年)12月31日時点での路線免許キロは約104 km、車両17台となった。 1950年(昭和25年)12月13日の市議会では貸切バス事業を行うことを提案し可決。1951年(昭和26年)3月に一般貸切旅客自動車運送事業免許を受け5月19日より開始。夏期で約3,000人、冬期で約500人の利用があり、支笏湖方面への団体が多く見られた。 交通課は単独庁舎が旭町で着工され1951年(昭和26年)1月15日から移転を開始。同年2月1日より正式に交通課事務所となった。同年には整備工場を増設し、10月12日から自動車整備業を開始した。バスは駅前を中心に運行していることからバスターミナルを設ける必要性があった。用地取得後1959年(昭和34年)4月より建設に着手。同年8月1日に完成し、バス待合室、旅行案内所、交番が入る観光センターとして営業を開始した。交通課は車両管理と整備を旭町に残しバスターミナル内に移転となった。
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