長崎県との縁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:07 UTC 版)
「東京ヤクルトスワローズ」の記事における「長崎県との縁」の解説
1970年代から2002年(平成14年)までのほぼ毎年、球団オーナー松園尚巳の出身地である長崎県での公式試合が開催されていた。 1976年(昭和51年)ドラフト1位で入団した松園と同じ長崎出身の酒井圭一を当時球団最高額の契約金3,000万で契約、しかし松園は「酒井はゴールデンルーキーだ。手取りで3,000万円にできないものか」の鶴の一声で、800万円上乗せされた。さらに長崎市内のホテルで行われた酒井のためだけの入団発表には、松園オーナーも同席。その後、異例のパーティーまで開かれ、当時の長崎県知事ら県内の政財界の大物まで出席した。費用の200万円も球団が負担した。松園は翌1977年(昭和52年)、地元紙長崎新聞の社長に就任。1988年(昭和63年)に退任するが、その翌年の1989年(平成元年)、長崎県民放テレビ第3局長崎文化放送(NCC)の初代代表取締役会長に就任。長崎文化放送は長崎新聞主導で設立され、ヤクルトスワローズの放送権を持っているテレビ朝日系列フルネット局となった。 一方、長崎出身の歌手さだまさしは巨人・長嶋茂雄の大ファンだったが、1980年(昭和55年)に長嶋が巨人監督を解任されると同郷の松園と親交が深かったこともありヤクルトファンに転向。選手の長崎遠征時には名物の卓袱料理でもてなすなどしている。 詳細は「さだまさし#スポーツの応援」を参照 1997年(平成9年)に開場した長崎県営野球場で初めて公式戦(対広島東洋カープ戦)を行った際、9月6日の1戦目が雨で中止、翌日の試合では7回途中・降雨コールド負けとなった。その後も長崎での公式戦を開催していたが、松園が1994年に死去、またヤクルト本社の事業再編による長崎工場の閉鎖もあったためか、2002年を最後にヤクルト主催の公式戦は開催されていない。2009年(平成21年)、7年ぶりに長崎で試合を行ったがこの試合は巨人主催のビジターゲームだった。
※この「長崎県との縁」の解説は、「東京ヤクルトスワローズ」の解説の一部です。
「長崎県との縁」を含む「東京ヤクルトスワローズ」の記事については、「東京ヤクルトスワローズ」の概要を参照ください。
- 長崎県との縁のページへのリンク