長崎県で撃墜されたアシッド・テスト
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「アシッド・テスト (航空機)」の記事における「長崎県で撃墜されたアシッド・テスト」の解説
1944年11月21日午前10時ころ、中国方面から長崎県へ飛来したB-29爆撃機の編隊に対し、日本側の多数の戦闘機が迎撃を行なった。爆撃機編隊は、第21海軍航空廠などがあった大村市を爆撃した後、中国方面へ帰還しようとしたが、60機を超える日本側の戦闘機が攻撃を加えた。戦闘の中で、やがて編隊の最後尾にいた1機が高度を下げ、当時の小長井村井崎の沖500mほどの海に墜落した。墜落したのは、第462爆撃群所属のB-29「アシッド・テスト」機体番号42-24786 であった。これは、坂本幹彦海軍中尉が操縦する零戦(一説には雷電)の体当たり攻撃によるものであり、坂本機は飛散して当時の深海村の山中に落下した。坂本の遺体は直後には見つからず、翌1945年1月8日に発見された。 アシッド・テストが墜落した場所は干潟が広がる水深の浅い海であり、垂直尾翼は海面上に突き出る形になっていた。墜落時にアシッド・テストに搭乗していた乗員は、機長ジョセフ・キルブルー大尉 (Capt. Joseph Killebrew) 以下11名であった。このうち8名(一説には9名)分については墜落した機内から遺体が回収されて、小川原浦集落に仮埋葬された。また、周辺に漂着した米兵と思しき遺体があり、全員の遺体が回収された可能性が高いものと考えられている。これら埋葬された遺骨、遺灰は、その後、米軍によって本国へ移された。 1992年には坂本中尉(戦死後2階級特進して少佐)を慰霊する「坂本少佐慰霊碑」が、1993年にはB29搭乗員のための「鎮魂碑」が、地元の有志によりそれぞれの機の墜落地点近くに建立されている。
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