鈴木、佐々木監督時代
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「大阪近鉄バファローズ」の記事における「鈴木、佐々木監督時代」の解説
1993年 監督の鈴木啓示と野茂英雄や吉井理人といった主力選手との確執が続いた。野茂は4年連続で最多勝を挙げるが四球や自責点もリーグ最多で安定感に欠き、野茂以外に10勝以上投手が出なかったものの、抑えの赤堀元之と、石井浩郎、ブライアントなどのいてまえ打線が好調で、開幕から好スタートの直後に連敗が続き最下位に転落するも、最終的には首位の西武と7ゲーム差の4位に終わる。 1994年 開幕の対西武戦で赤堀元之が伊東勤に開幕戦史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びる波瀾のスタートとなり、序盤からチームは低迷。6月17日には首位西武に16ゲーム差の最下位に沈む。しかし、いてまえ打線の爆発により夏場から調子を上げ、7月26日から8月10日にかけて球団新記録となる13連勝を記録し一時は首位に立つなど、約1カ月半で32勝6敗、勝率.842の驚異的な成績を残す。しかし、野茂が離脱した8月以降は後退、最終的に首位西武と7.5ゲーム差の2位に終わる。シーズン終了後、野茂が契約のこじれから退団、メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースに移籍。金村義明がFA権を行使し中日に移籍。阿波野が香田勲男との交換トレードで巨人へ移籍。 1995年 開幕直前、吉井が西村龍次との1対1の交換トレードによりヤクルトに移籍。開幕から2年目のリー・スティーブンスが13試合で10本塁打と打ちまくるが、ブライアント、石井浩郎の故障離脱があり投手陣も高村が怪我で離脱、ストッパー赤堀が絶不調もあってチームは低迷。鈴木啓示も途中休養する状況で、8年ぶりの最下位になる。シーズン終了後、佐々木恭介が監督に就任する。ドラフトでは高校生としては史上最多7球団が1位指名したPL学園の福留孝介の交渉権を獲得するが、福留は入団拒否。ダイエーを自由契約となった山本和範が15年ぶりに復帰。 1996年 テスト入団の山本が開幕から活躍しオールスターにも選ばれたが、投手陣の調子の波が激しく勝率5割付近を行き来する展開となる。翌年から本拠地が新たに大阪ドームに移転するため、Aクラス入りし開幕カードを新本拠地で迎えたかったが、終盤戦Aクラス入りをかけた対西武二連戦に破れ、4位でシーズンを終える。オフ、大幅減俸提示を拒否した石井が巨人に移籍。
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