遺跡・古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 16:38 UTC 版)
鹿島周辺では多くの縄文時代遺跡は見つかっているが、弥生時代の遺跡は数箇所程度にとどまっている。古墳時代に入っても古い古墳は見つかっておらず、神宮境内における祭祀遺物でも、発掘された土器は6世紀以降のものとされている。 神宮に関する古墳としては、北東方2キロメートルにおいて前方後円墳17基を含む古墳100基以上からなる宮中野古墳群(きゅうちゅうのこふんぐん)が知られる。同古墳群は6世紀から7世紀頃の築造とされ、中でも夫婦塚古墳(鹿嶋市指定史跡、北緯35度58分56.39秒 東経140度36分41.41秒 / 北緯35.9823306度 東経140.6115028度 / 35.9823306; 140.6115028 (夫婦塚古墳(宮中野古墳群)))は、古墳群中最大規模の墳丘長約108メートルの前方後円墳である。その他の主要古墳には、帆立貝式前方後円墳の大塚古墳(勅使塚)もある。この古墳群は鹿島地方の首長墓群と見られており、鹿島神宮との関係も指摘されている。また神宮の東方の高天原には「鬼塚」という全長80メートルの古墳があるほか、潮来市大生にある大生古墳群も鹿島神宮との関係が指摘される。 なお、鹿嶋市の厨台遺跡群では大規模な集落遺跡が検出されており、「鹿嶋郷長」・「中臣宅成」の墨書土器の出土から鹿島郡鹿島郷の中心地かつ中臣氏の居住地と認められるほか、7世紀中頃の竪穴建物の増加には孝徳天皇年間(645年-654年)の神戸50戸加増との対応が指摘される。
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遺跡・古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 23:08 UTC 版)
多摩丘陵ではおよそ3万年前から人が住み始めたと言われている。昭和40年辺りから広範囲に宅地や商業地の造成(多摩ニュータウンの開発など)が行われる事が決まり、それに伴い大規模な遺跡発掘調査が行われた。縄文時代、古墳時代を中心に遺跡調査が綿密に行われ、古いもので旧石器時代である約25,000年から20,000年前の石器が豊ヶ丘で出土している。
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