遺跡を巡る現代史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 03:14 UTC 版)
文明遺跡としての発見は、1922年、インド考古調査局員であった歴史学者R・D・ボンドパッダーエ(英: Rakhaldas Das Bandyopadhyay、ベンガル語: রাখালদাস বন্দোপাধ্যায়)の発掘調査によってなされた。1980年、パキスタンの申請で「英語名:Archaeological Ruins at Moenjodaro(和訳名:モエンジョダーロの考古遺跡)」の名でユネスコ世界遺産の文化遺産に登録された。 遺跡が属する地域一帯では地下水位の上昇による塩害が進行し続けているが、モヘンジョ=ダロはこれを覆い隠してきた堆積物が大規模に取り払われた1965年以降、遺構の構成物である煉瓦が塩分を吸い上げて風化してゆく塩分砕屑現象が止まらない。そうして土に還ってしまった遺構も少なくはなく、保存の問題が何十年も叫ばれ続けている。
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