選手・関係者の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 07:42 UTC 版)
「中埜肇 (実業家)」の記事における「選手・関係者の反応」の解説
事故当日、前述した11日の平和台球場での主催試合(中日戦)を終えた阪神ナインは、13日から行われる後楽園球場での巨人戦に備え、中埜よりも遅れて東京入りしたが、この時にナインが搭乗した飛行機である福岡発羽田行きの日本航空366便の機体は「JA8119」で、東京(羽田)での折り返しの伊丹行きの便が中埜が搭乗することになる日本航空123便だった(当該項目参照)。阪神の選手は、都内の宿舎に到着して間もなく、中埜が日本航空123便に搭乗していたことが関係者から告げられた。 この便に中埜と石田の二人の取締役が搭乗していたことが判明し、阪神電鉄本社及び阪神球団の関係者は大きな衝撃を受けた。選手達も例外ではなく、翌日の巨人戦から6連敗を喫してセントラル・リーグ首位から陥落したが、「亡くなった社長のためにみんなで頑張ろうと、ナイン全員と首脳陣が誓い合った結果が再結束に繫がり、優勝に繋がった」と、後に吉田義男監督や掛布雅之、真弓明信、川藤幸三たちは語っている。 事故発生から4日後の8月16日、息子たちにより遺体が確認されたが、遺体の損傷が激しかったため歯型と着衣でようやく中埜の遺体であることが確認された。妻も中埜の遺体との対面を希望したが、先に遺体と対面した息子たちから「遺体は見ない方がいい」と止められ、結局最後まで遺体と対面する事はできなかったという。翌17日に、群馬県高崎市の斎場で荼毘に付された。 同日、広島市民球場での広島戦の試合前に両球団の選手・首脳陣全員による黙祷が行われ、スコアボード上の両球団旗を半旗にして試合を行った。8月31日、大阪府吹田市にある千里会館で中埜と石田の社葬が営まれ、阪神の選手たち及びバース、ゲイル含め全員がユニホーム姿で参列した。 10月16日、阪神が1964年以来21年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした際、渡真利克則が試合終了の際に捕球したボールが中埜の霊前に手向けられた。自らの手でボールを届けたナインたちは、社長宅で嗚咽をもらしていたという。
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