中埜肇 (実業家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/13 15:33 UTC 版)
中埜 肇(なかの はじむ、1922年3月31日 - 1985年8月12日)は、日本の実業家、プロ野球球団経営者。
注釈
- ^ 第67回全国高等学校野球選手権大会の期間中であったため、本来の本拠地球場である阪神甲子園球場で主催試合を開催することができず、代替措置として他球場で主催試合を開催していた(いわゆる死のロード)。
- ^ ただし、「埜」は表外字であるため、1985年当時の新聞表記としては必ずしも誤記ではない(長島茂雄参照)。
- ^ 搭乗していた選手の一員である木戸克彦の妻は当該便に搭乗する予定だったが直前にキャンセルし、事故の難を逃れている。
- ^ 中埜は事故当日、10日の福岡出張時に購入した博多織の青色ネクタイにこの年の阪神タイガース球団創立50周年を記念して作られた虎のロゴマーク入りのネクタイピンを付けていた。ネクタイは焼け焦げていたものの所々に青色の部分が残って球団創立50周年記念のネクタイピンも付いていたため、これらが中埜の遺体であることを確認する決定的な遺留品となった。
出典
[続きの解説]
「中埜肇 (実業家)」の続きの解説一覧
- 1 中埜肇 (実業家)とは
- 2 中埜肇 (実業家)の概要
- 3 来歴・人物
- 4 脚注
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