過去の可変空力装置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 00:47 UTC 版)
「ドラッグリダクションシステム」の記事における「過去の可変空力装置」の解説
可変空力装置自体は目新しいものではなく、FIAが1969年のシーズン中に規制し(可動でない空力部品を車体に固定しなければならない、と規定した)、それが変えられることがなかったため、FIAの配下にある(ないし、同じ規制を採用した)レースでは見られなかっただけである。たとえばNASCARの車両に義務付けられているルーフフラップ(en:Roof flap)や、スーパーカーなどで見られる車速に応じてせり出すスポイラーなど、他のカテゴリでは普通に見られるものである。 航空機の翼のような空力部品は、速度記録に挑戦した車ではより古くから見られる(たとえば、en:Thunderbolt (car) には垂直尾翼がある)。可変の空力装置は、通常のレーシングカーでは、固定されたウイングよりもむしろ先に登場しており、メルセデス・ベンツ・300SLRのブレーキ時に立ち上がって空力ブレーキとして働く(メルセデス・ベンツ・300SLR#エアブレーキを参照)ウイングというよりスポイラーに当たる可変空力装置は、1955年に登場している。 レーシングカーにダウンフォースを得るためのウイングが付けられた初期の例としては、ジム・ホールによる1960年代のシャパラル、日本の車ではR381が知られている。ウイングは高速コーナリングには効く半面、抗力を増し、直線でのトップスピードにはマイナスに働くことは考えるまでもなく明らかであり、すぐに走行中の可変機構が開発された。 F1における空力装置の使用は1967年からで、1968年ニュルブルクリンク北コースで開催されたドイツGPにてマトラが、フォード・コスワース・DFVを搭載したMS10と、マトラ・V12エンジンを搭載したMS11で知られるように、すぐに可変の空力装置が見られるようになった。このレースでは同チームの監督をしていたケン・ティレルの愛弟子ジャッキー・スチュワートが2位のグラハム・ヒルに4分以上の大差をつけて優勝を果たした。 その後も他チームがこぞって可変空力装置を採用した。可動方法は、サスペンションのばね下と連動する構造のものなど様々であった。フェラーリはミッションと連動するものを採用した。これはドライバーからも操作できたものの、この装置が原因でジャッキー・イクスはクラッシュ寸前に追いやられたこともある。クーパー[要曖昧さ回避]では構造をさらに単純化したものが採用された。1969年開幕時点ではほとんどのチームが採用しており、マクラーレンやロータスではフロントウイングも可変システムを導入していた。しかし同年のスペインGPでウイング破損によるクラッシュが続出。モナコGPから段階的に禁止され、オランダGPで「空力装置は可動不可」「車体に固定」となり、可変空力装置は全面禁止となった。 その後、走行中に可変する空力装置はいかなるものであってもレギュレーションで禁止されていた。これに変化があったのは2009年のF1世界選手権で、可動領域6度、周回辺り計2回の可動が許された可変フロントウイング・フラップとして復活することになった。これは、オーバーテイク促進という点では期待されたほどの効果が見られず、2011年にDRSの導入という形で発展的に解消された。
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