運動の形態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:08 UTC 版)
「アフリカ系アメリカ人公民権運動」の記事における「運動の形態」の解説
これらの反人種差別運動は、アメリカにおいてこれまで「人種分離法」の下で人種分離、および人種差別を受け続けていた黒人をはじめとする有色人種が、アメリカ合衆国市民(公民)として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので、「公民権運動(Civil Rights Movement)」と呼ばれるようになった。 運動においてはキング牧師らを中心とした黒人の聖職者が著名な指導者となったが、数多くの組織やアメリカインディアンや日系アメリカ人などの他の有色人種や白人を含む個人が参加して行われたもので、運動の形態も、訴訟や街頭でのデモから、人種別の席などを設けている南部ののみならず全米の施設に対するボイコット、さらに「シット・イン」と呼ばれた、レストランの白人専用席での座り込みに至るまで多岐に渡った。 1957年6月23日、ノースカロライナ州ダーラムのロイヤル・アイス・クリーム・パーラーで女性3名と男性4名の『ロイヤル・セブン』による人種差別への抗議行動の「シット・イン」が行なわれたが、不法侵入として逮捕された。彼らの功績はノースカロライナ州ダーラムの町の歴史的シンボルとして称えられている。 「シット・イン」は、その後15都市で5万人が参加する大規模なものとなり、その後、このような非暴力的手段による抗議活動に賛同した一般市民による、有色人種の入場を拒否していたり、人種別の出入り口や人種別の席などを設けている図書館やスケート場、プールや海水浴場など対する同様の座り込みやボイコットが広く行われるようになった。 「シット・イン」をはじめとする、人種差別とそれを正当化する「人種分離法」への抗議活動の多くは、上記のように非暴力的な手段を用いて行われたものの、これに対して多くの州における警察当局は「治安維持」を理由にデモ隊を過酷に弾圧するなどしたため、これに反発した黒人らによる大規模な暴動に発展することもしばしばであった。 しかし、これらの非暴力的な運動に対する弾圧や暴動は内世界各国のマスコミで大きく報じられ、アメリカにおける人種差別の酷さと、それに非暴力的手段を用いることで抵抗の意思を示し、事態を改善しようとする黒人たちの姿を浮かび上がらせた。
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