遊び・遊戯の語源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 14:45 UTC 版)
中国古代の哲人荘周の言行録である『莊子』には「遊」という字が106回使用されており、中国思想史の上で「遊び」という概念は『莊子』と密接な関係を持っている。『莊子』では、人間の心と世界(道)を結びつけて、何物にも囚われれない主体的で自由な心の在り方を「遊び」と表現した。「遊戯」という言葉の初出として、司馬遷が『史記』老子韓非列傳で荘周を解説する中で綴った「我れ寧ろ汚瀆の中に游戲して自ら快し」という一文が挙げられる。その後、老荘思想の「遊び」の概念は禅宗の仏教哲学へと継承され、形骸化した外物を徹底的に排除する「遊戯三昧」へと展開した。これらの中国における「遊」の哲学は日本の仏教や芸術にも影響を与えている。 和語「あそび」の語源について定説というべきものは無いが、大喪儀の際などに殯(もがり)の神事に従事することを職とした品部である「遊部(あそびべ、あそべ)」 が古代に存在したことなどを論拠に、その本義を神道の神事に関わるものとする説がある。ただし、遊部を管掌した遊部君はその居住地や氏族の性格から鉱物採集・金属精錬にも従事したと見られため、「遊部」とは「阿蘇部」のことと考えられ、鳴釜神事に仕える吉備の阿曽女や吉備の鬼神である温羅の妻・阿曽媛と同じ、「ア」(接頭語)、「ソ」(金属・鉄)の意味であったと見る説もある。漢字の「遊」は、「辵」と「ゆれ動く」意と音とを示す「斿(ゆう)」によって構成され、「ゆっくり道を行く」意を持つと共に、「あそぶ」意をも表わしている。 遊戯(ゆうぎ、wikt)は、第1義に、遊びたわむれること。第2義には、子供たちが行う、音楽に合わせた踊りや運動であり、美化語で「おゆうぎ」とも言う。ただし、「ゆうぎ」と読むようになったのは明治時代以降であり、それ以前は「ゆげ」(ときに「ゆけ」)もしくは「ゆうげ」と読んでいた。
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