連邦最高裁判所長官
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「ジョン・マーシャル」の記事における「連邦最高裁判所長官」の解説
マーシャルは、第2代大統領ジョン・アダムズによって、1801年1月20日に連邦最高裁判所長官に任命された。連邦最高裁判所でマーシャルは、憲法解釈を通じて連邦の権限を確保し、連邦司法部および合衆国憲法の権威確立について大きな貢献を行なった。彼は一連の歴史的な諸判決を通じて、当時極めて弱体であった司法府を、議会(立法)や大統領(行政)と同等の影響力を持つ独立した地位へと高めてゆく、最初の一歩を踏み出したのであった。 彼の下した判決で最も著名なものは、マーベリー対マディソン判決である。連邦法に対する違憲立法審査制度の原理は、マーシャルの「憲法に反する法律は法ではない」という法廷意見によって端的に表された。当時までの連邦最高裁判所においても連邦法の合憲性を判断する事例は存在したものの、違憲としたことは初めてであり、その理論づけを彼が法廷意見において詳細に述べた(いわゆるMarshall's Opinion)ところに価値がある。つまり、マーシャルの判決により、理論的な意味において、連邦最高裁判所に違憲立法審査権が確立されたのである。 その後、独立間もないアメリカ合衆国は、それぞれの地域の権益によって引き裂かれる恐れにしばしばさらされた。マーシャルは再三にわたって合衆国憲法の条項を広く解釈し、一定の分野において州政府に対する連邦政府の優位を確保した。今日最も重要な憲法の解釈の多くは、マーシャルが解釈したものであり、後世においても、最も著名な連邦最高裁判所長官となった。 マーシャルが連邦最高裁判所長官を務める間、5人の大統領が入れ替わることになった。就任当初は、トマス・ジェファソン大統領との間に争いがあったものの、その後は連邦政府内で徐々に安定した判決の支持を得て、最高裁の地位を高めていった。しかし、晩年は、アンドリュー・ジャクソン大統領によるジャクソニアン・デモクラシーの興隆と州権論の隆盛を前にして、彼の法的安定性と中央集権を志向する諸判決が徐々に力を失ってゆくのを目の当たりにすることになる。彼はおよそ35年間連邦最高裁判所長官を務めて、1835年7月6日に死去した。彼の高潔な人柄と、気さくで人をひきつける長所は、彼の政敵からも賞賛されるところであった。連邦政府内でその死去の報に接した者は、党派を超えた悲しみに包まれたという。
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連邦最高裁判所長官
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「連邦最高裁判所 (ブラジル)」の記事における「連邦最高裁判所長官」の解説
長官と副長官は、2年の任期中に連邦最高裁判所裁判官の中から秘密投票で選出される。連続での再任はできない。慣習として、政治色を帯びないよう、長官に選ばれたことのない裁判官のうち最年長の者が選ばれる。現役の裁判官全員が既に長官に選ばれたことがある場合、順番は再び元に戻る。しかし、70歳の定年が存在し、当然その空席を補充する新しい裁判官が選ばれることから、順番が一巡することは珍しく、長官の順番が回ってくる前に辞めさせられる裁判官もいる。 同じ慣習によると、連邦最高裁判所は一定期間ごとに、次の長官に選ばれることになる裁判官を副長官として選出する。また、慣習として、長官と副長官の選挙は決して全会一致にはならず、どの選挙でも必ず一人、他とは異なる票が入れられる。その選挙で選出されることになる裁判官は、自分の票を自分に投じないからである。選出される裁判官は、自分の票を、最年長の裁判官やその他の敬意を表したい年長の裁判官に投じる。
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