退陣表明記者会見とは? わかりやすく解説

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退陣表明記者会見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:55 UTC 版)

佐藤栄作」の記事における「退陣表明記者会見」の解説

1972年第68回通常国会閉幕した翌日6月17日の退陣表明記者会見を行った冒頭佐藤は「テレビカメラはどこかね? テレビカメラ……。どこにNHKがいるとか、どこに何々いるとか、これをやっぱり言ってくれないかな。今日そういう話だった。新聞記者諸君とは話さないことにしてるんだ。違うんですよ、僕は国民直接話したい新聞になると文字になると(真意が)違うからね。残念ながら…、そこで新聞を、さっきもいったように偏向的な新聞嫌いなんだ。大嫌いなんだ。直接国民話したい。やり直そうよ。(記者は)帰って下さい」と発言最初冗談かと思った記者たちより笑い声もあったが、佐藤そのまま総理室に引き上げてしまった。 その後内閣官房長官として同席していた竹下登説得で、佐藤は再び会見室に戻った何事もなかったように佐藤が「そこで国民皆さんにきょう……」と話し始めたのを反発した新聞記者遮り、「総理それより前に……。先ほど新聞批判内閣記者会として絶対に許せない」と抗議した佐藤テーブル叩いて出てください構わないですよ」と言い放ち、これに対して抗議した記者は「それでは出ましょう」と応じた毎日新聞岸井成格が「出よう出よう!」と他の新聞記者達に呼びかけ記者全員退席したその日朝日新聞夕刊は、事の顛末を「…ガランとした首相官邸会見室で、首相モノいわぬ機械テレビカメラ)に向かって一人しゃべっていた」と突き放すように締めくくった全国紙時の首相を「一人しゃべっていた」などと書くのは前代未聞出来事だった。 なお竹下によると、佐藤はあらかじめ記者クラブ了解をとってテレビのみの会見設定しようとして秘書官通じて記者クラブ幹部に話をつけていた。しかしそこで行き違いがあり、記者クラブ側としては、佐藤テレビ向かって独演することは了承したが、記者会見の席に出られないという意味では受け取っていなかったため、最後見送りという意味も含めて陪席することとした。そのため当日の席でまず佐藤話が違うといって怒り、それに対して見送りのつもりで来ていた記者らも腹を立てて退席することとなったという。劇団四季創設者として知られる浅利慶太佐藤に「退陣会見では、一度だけテレビ通じて国民語りかけられてはどうか」と進言していたことを著書時の光の中で』の中で明かし、この顛末責任佐藤にはなく「50パーセントは私、残り50パーセント当時竹下登官房長官」としている。 また、佐藤はこの会見の中で「中共中共草木もなびくが、自分はそうは思わない」と述べて中華民国との関係継続訴えた

※この「退陣表明記者会見」の解説は、「佐藤栄作」の解説の一部です。
「退陣表明記者会見」を含む「佐藤栄作」の記事については、「佐藤栄作」の概要を参照ください。

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