退陣と暴漢事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:16 UTC 版)
辞意表明後の1960年7月14日、後継首班に池田勇人が指名された直後、岸は暴漢に刺されて重傷を負った。犯人は戦前に右翼団体大化会に属していた荒牧退助で、その後は大野伴睦の院外団にいた。岸側近の小川半次は、岸が大野への禅譲を匂わせながら池田が後継となったことへの憤激が動機であるとする。荒牧は、樺美智子とその父親樺俊雄への同情が動機であり、美智子の死亡後に俊雄と面会したことがあったという。しかし、「岸に反省をうながす意味でやった」と供述して岸への殺意や大野との背後関係は否定している。荒牧には懲役3年の実刑が2年後、5月24日に確定した。 翌7月15日、岸内閣は総辞職した。岸は「私のやったことは歴史が判断してくれる」「安保改定が国民にきちんと理解されるには50年はかかるだろう」という言葉を残している。
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