退場事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 18:06 UTC 版)
「アイザイア・トーマス」の記事における「退場事件」の解説
NBAで2連覇したチームは、1987年、1988年のロサンゼルス・レイカーズに続いて1960年代以降で2チームめだった。ピストンズは歴史に残る快挙を成し遂げたが、同じ地区のライバルシカゴ・ブルズの実力はピストンズに迫り、追い越しつつあった。 「バッドボーイズ」と呼ばれたピストンズは、ブルズのエースマイケル・ジョーダンをジョーダン・ルールという手法で封じ込めていた。これはゴール下に切り込んだジョーダンをピストンズが数人がかりで強引に抑え込むというものだった。過去3年にわたってプレイオフでピストンズに敗退していたブルズにとって、ピストンズは倒すべき宿敵だった。 1990-91シーズン、ピストンズは勝ち星を減らし50勝32敗、一方のブルズはリーグ首位の61勝21敗を記録していた。プレイオフで、ピストンズは1回戦、カンファレンス・セミファイナルと勝ち抜き、カンファレンス・ファイナルでブルズと対戦した。前シーズンは最終の第7戦まで争ったが、このシーズンのブルズは成長が著しく、0勝4敗でピストンズは敗退した。 115対94でブルズの圧勝となったシリーズ最後の4試合目に、トーマスはのちに物議を醸す事件を起こした。ピストンズの敗戦が明らかになった試合終了間際、ベンチに下げられていたピストンズの主力メンバーは、試合が終わる前にトーマスに率いられてコートから退場した。相手選手と挨拶を交わすことなくブルズベンチの前を通りすぎる様を、多くのファンはいかにも「バッドボーイズ」の終焉らしい幕切れと考え、同様に多数の人々はスポーツマンシップに欠けた非礼な行為という印象を持った。この事件でトーマスは大きな批判を受けることになった。1992年に、トーマスがドリームチームのメンバーに選ばれなかったのはこの件が大きな要因になったとされる。
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退場事件
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「1969年の日本シリーズ」の記事における「退場事件」の解説
このシリーズの第4戦では日本シリーズ初の退場事件が起こった。阪急が3点リードの4回裏、巨人は連続安打でつくった無死一、三塁というチャンスに、打者長嶋茂雄は三振に倒れたが、一塁走者の王貞治と三塁走者の土井正三がスタートを切った。捕手の岡村浩二からの送球を受けた二塁手の山口富士雄はダブルスチールを察知し、本塁へ送球した。岡村は本塁をブロックして土井にタッチをし、土井はその影響で跳ね飛ばされたように見えた。捕手の岡村はもちろんのこと、後楽園の大観衆やテレビ観戦をしていたファンは皆がアウトだと確信した。しかし、球審岡田功はこれをセーフと判定した。 これに激怒し岡田球審を殴った岡村に日本シリーズ初となる「退場」が宣告された。さらに、巨人がこの回に6点を挙げて逆転し、最終的に試合に勝った。その影響で退場を言い渡された岡村に同情、岡田球審を批判する声が高まった。 そんな状況は翌朝、180度変わった。10月31日付の各スポーツ新聞が、問題のクロスプレイの際、土井の左足が岡村にタッチされ、跳ね飛ばされる前にホームベースに触れていた瞬間を捉えた写真を掲載し、岡田球審の判定が正しかったことを証明した。 「日本シリーズ初の退場事件」および「岡田功」も参照
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