「バッドボーイズ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 18:06 UTC 版)
「アイザイア・トーマス」の記事における「「バッドボーイズ」」の解説
デイリーをヘッドコーチに迎え入れて以降、ピストンズは徐々に上向き始めた。1984年にチームは49勝33敗と勝ち越した。この年ピストンズは6年ぶりにプレイオフに進出するが、1回戦でニューヨーク・ニックスに敗れる。 1984-85シーズンにはNBA記録となる平均13.9アシストをあげた(この記録は1989-90シーズンにジョン・ストックトンが更新した)。 翌1985年のドラフトでピストンズはジョー・デュマースを指名、リック・マホーンをトレードで獲得。ビル・レインビアも徐々に成績を伸ばしてきており、1985-86シーズンにはリーグのリバウンド首位になった。さらに1986年にはジョン・サリーとデニス・ロッドマンがチームに加わり、「バッドボーイズ」と呼ばれるチームの中核メンバーが集まった。 「バッドボーイズ」は激しいディフェンスでリーグを席捲した。チームで唯一の紳士と言われたデュマースを除けば、彼らは必要以上に乱暴で卑怯なチームとしてリーグの大抵の選手に忌み嫌われた。バッドボーイズの主な数人だけで他の1チーム分の罰金をリーグに支払っていた。 小柄ながら強気なプレイを見せるトーマスは、得点やゲームメイクの面で、そして精神的な柱としてこのチームを束ねる役割を果たしていた。またドリブルの名手でもあり、スティールにも長けていた。トーマスは年齢よりもかなり若く見える顔立ちをしており、しばしば人好きのしそうな笑顔を見せたが、「バッドボーイズ」のリーダーというイメージとそのプレイスタイルから「微笑んで相手を倒す」と言われた。 トーマスは1984年から4年連続で20得点・10アシストを上回る成績をあげ、84年から3年連続でオールNBAファーストチームに選ばれた。また84年と86年のオールスター戦ではMVPに選ばれる活躍を見せた。1984-85シーズンには平均アシスト数13.9でリーグ首位となった。 1985年のNBAオールスターゲームでトーマスはルーキーだったマイケル・ジョーダンとチームメートになったが、何人かのベテラン選手とともにジョーダンが受けていた注目に反感を持って彼にパスを出さなかった(フリーズアウト)。引退後、トーマスは「そのことをよく子供に聞かれるんだけど、当時モーゼス・マローン、ラリー・バード、ジュリアス・アービングがチームにいる状況でジョーダンばかりにパスを回すことは出来なかった」と述べている。3人の選手は実績のある偉大な選手であり、ルーキーのジョーダンを特別扱いすることは難しかったかもしれない。
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