近現代 - 現代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 22:22 UTC 版)
「先天盲からの回復」の記事における「近現代 - 現代」の解説
白内障 眼内レンズができるまで白内障の手術は、水晶体内の白濁化が進んで硬くなってはじめて手術で取り出すのが基本だった。柔らかいと取り残しが生じるからである。取り出した後は厚みを失った水晶体を補うため度の強いメガネが必須であった。 レンズの高度な製法技術はすでに存在していたが、それを眼球内部に入れても支障のないことをイギリスのリドレー(英語版)が発見し、風防ガラスと同じ素材(ポリメチルメタクリレート:PMMA)を使って1949年に初の眼内レンズ手術を行った(眼内レンズ#歴史参照)。 白内障を超音波で粉砕し吸い取る器機はアメリカの医師チャールズ・ケルマン(英語版)が1965年に初めて臨床で使い、共同開発した技術者アントン・バンコ(Anton Banko)とともに1967年に特許を取得した。術式としては、ケルマンの元で学んだカナダのハワード・ギンベル(英語版)の水晶体の核を十文字の溝で4分割し順に乳化吸引する「ディバイド・アンド・コンカー」法を1984年頃開発し、日本の赤星隆幸は1998年にプレチョップ(特殊なピンセット)と超音波を併用して溝を掘らずに水晶体(フェイコ)を細かく砕いて吸引する「フェイコ・プレチョップ法」(単に「プレチョップ法」ともいう)を発表してハワード・ギンベルから「赤星の術法のほうがいい」とカナダに招聘され公開手術を行った。 最近はレーザーを使った手術も行われている。 また、眼内レンズのかわりに柔軟性のあるシリコンポリマーを注入して水晶体を人工的に再生する手技の研究も行われている。 緑内障 1884年のアルフレッド・グレーフェによる虹彩切除術を基本的には踏襲しつつ改良と発展が続けられている。 角膜移植 1928年に当時ソビエト連邦のフィラトフ(ru)が死者からの角膜移植について報告し、以後世界各地でアイバンクが設立された。
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