軍官用戦闘服・外出服
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「軍服 (朝鮮半島)」の記事における「軍官用戦闘服・外出服」の解説
1947年制定 裁断はソ連の「キーチェリ」型とほぼ同様である。ポケットは胸のみでボタンはない。色はカーキで、陸軍の場合襟、袖、そして袴に赤いパイピングが入る。空軍はパイピングが青色であること以外には陸軍と同様。夏になると白い上衣も存在した。 戦勝記念館の絵画、朝鮮戦争当時の軍装をモチーフにしている 開城での休戦会談に参加した陸軍将官ら(1951年) 陸軍大将(南日、1951年) 休戦協定における人民軍軍官(左手前・中央大佐、右奥少佐)ら。中央は海軍(1951年10月11日) 夏季白キーチェリの元帥(金日成、1953年7月27日) 1958年~現在 折襟になった以外は裁断の意匠に大差はないが、袖、及び袴のパイピングが廃止されたシンプルなものとなった。1970年代までは乗馬ズボンも使用されていたが、現在では護衛司令部や名誉衛兵隊要員を除きスラックスのみとなっている。 着用対象は基本的に軍官だが、護衛司令部の他に軍楽隊や板門店警務隊や宣伝隊などの特別待遇軍人たる戦士にも支給される。 1960年代。乗馬ズボンに長靴姿の軍官 板門店の会議場内を警備する兵士(右:下士、左:上等兵) 軍事境界線で監視を行う下士官。軍事称号はいずれも下士(伍長に相当)(1998年10月9日) 女性兵士(2010年9月) 軍事境界線における戦士(兵の最下級クラス)。兵卒もサム・ブラウンベルトの支給対象であることがわかる(1990年10月1日) 米軍高官と対面する将校(佐官クラス)
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