身元確認と死者の埋葬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:14 UTC 版)
「アシュタビューラ川鉄道災害」の記事における「身元確認と死者の埋葬」の解説
死者の身元特定には1週間以上かかった。鉄道貨物室には約36体の遺体の全部または一部が残っていたし、心配している家族は立ち寄り、死体の身元を特定しようとするよう奨励された。残骸後の数日間、町民と鉄道の従業員らは手と足、鍬(hoes)、熊手(rakes)、そしてシャベルを使って灰、氷、泥、そして雪を掘り起こし、身の回り品を見つけた。これらの品物――これらは、部分的に燃えた列車のチケット、日記、写真、懐中時計、宝石類、ユニークなまたは珍しい衣類品、または記念品をふくんでいた――は鉄道によって保管された。死体の身元が特定できなかったとき、悲しみに暮れる家族はときどき、これらの「聖遺物」("relics")を使って、愛する人が列車に乗っていることを確認できた。そうでさえ、身元を特定する物体や紙の識別はしばしば遺物から分離されたし、遺体の身元誤認が一般的であった。 心配している友人らと家族らは、愛する人の知識を得ようとして、何百もの手紙と電報を鉄道と市当局に送った。これらは、乗客とされる人物の人相書きと、身元を特定する身の回り品をふくんでいた。これらの手紙のいくつかは、金(きん)の懐中時計、宝石類、またはその他の物品を「戦利品」("loot")として探している人々から送られた、不正なものであった。不正な手紙はかなり簡単に見つけられる傾向があったし、返事を答えられなかった。 残骸の捜査官らは、つい1月中旬までまだ遺物を発見しつつあった。 1877年1月19日に、アシュタビューラのチェスナット・グローブ墓地で身元不明の死者の埋葬が行われた。長さ1マイルの行列が死者を墓地に運んだ。鉄道は、推定22人の遺骨を含む18個の棺が置かれた埋葬地を購入した。 まだ身元が特定できることを期待して、3体の死体とともに3つの棺が貨物室に残っていた。これらの遺物は、請求されなくなったとき、約1週間後にチェスナット・グローブの同じ区画に埋葬された。
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