身元不明児
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 08:32 UTC 版)
「シドニー・レスリー・グッドウィン」の記事における「身元不明児」の解説
金髪の男児の遺体は、1912年4月17日にマッケイ=ベネット号(en:CS Mackay-Bennett)によって、捜索開始から4番目に海中より引き上げられた。当時の記録には、以下のように記されている。 NO.4 男性 推定年齢2歳 頭髪 金髪 服装 灰色の上着に毛皮の襟とカフス、茶色のサージ製フロック、ペチコート、フランネルの服、ピンクのウール製肌着、茶色の靴と靴下 これ以上の特記事項なし。恐らく3等乗客。 マッケイ=ベネット号の船員たちは、身元不明の男児の遺体を目の当たりにして大いに狼狽した。彼らはお金を出しあってモニュメントを造り、男児は1912年5月4日に、ノヴァスコシアのハリファックスにあるフェアヴュー墓地(en:Fairview Cemetery, Halifax, Nova Scotia)に埋葬された。男児の小さな棺には、船員たちによって『我らの赤ちゃん』(Our Babe)と刻まれた銅製のペンダントが乗せられた。 2002年以前には、(この2002年という年は、別人と取り違えられた身元鑑定結果が出ていた時期である)シドニーは単に「身元不明児」と呼ばれていた。遺体は2歳前後の男児と判定されていて、スウェーデン出身で事故当時2歳のヨースタ・レナード・ポールション(Gösta Leonard Pålsson)か、アイルランド出身で同じく事故当時2歳のユージン・ライス(Eugene Francis Rice)のどちらかであろうと推定されていた。(2人とも金髪の幼児だったためである)
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