越智越人/とは? わかりやすく解説

おち‐えつじん〔をちヱツジン〕【越智越人】

読み方:おちえつじん

[1656〜1730ころ]江戸中期俳人越後の人。名古屋住んだ別号槿花翁(きんかおう)。蕉門十哲一人で、「更科紀行」に芭蕉同行尾張(おわり)の蕉風開拓した。著「鵲尾冠(しゃくびかん)」「庭竈集(にわかまどしゅう)」など。


越智越人

おちえつじん

明暦2年(1656)~没年不詳

越智越人

北越の人。越智十蔵別号、負山子槿花翁など。『春の日』の連衆一人尾張蕉門重鎮。『更科紀行』に同行しそのまま江戸まで同道して一月後の作品芭蕉庵十三夜』にも登場する。 『鵲尾冠』・『の耳』など。
芭蕉の、越人評は『庭竈集』「二人見し雪は今年も降りけるか」の句の詞書に、「尾張の十越人と号す。越後人なればなり。粟飯のたよりに市中隠れ二日勤めて二日遊び三日勤めて三日遊ぶ。性、酒を好み、酔和する時は平家を謡ふ。これ我が友なり」とある通り、実に好感持っていた。『笈の小文』で伊良子岬に隠れている杜国尋ねた時に越人同行し、かつ馬上で酔っ払ったことがある芭蕉宛書簡がある。

越人の代表作


越智越人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 14:48 UTC 版)

越智 越人(おち えつじん、1656年明暦2年) - 1739年元文4年)頃?)は、江戸時代前期の俳諧師。別号に槿花翁(きんかおう)。尾張蕉門の重鎮で、蕉門十哲の一人。「更科紀行」の旅に同行した。




「越智越人」の続きの解説一覧

越智越人(おち えつじん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 09:17 UTC 版)

蕉門十哲」の記事における「越智越人(おち えつじん)」の解説

明暦2年1656年) - 没年不詳 尾張蕉門門人。「更科紀行」の旅に同行

※この「越智越人(おち えつじん)」の解説は、「蕉門十哲」の解説の一部です。
「越智越人(おち えつじん)」を含む「蕉門十哲」の記事については、「蕉門十哲」の概要を参照ください。

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