諸外国のHe100
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 00:34 UTC 版)
「He 100 (航空機)」の記事における「諸外国のHe100」の解説
日本海軍は大東亜戦争(米国呼称=太平洋戦争)開戦直前の1941年にHe 100D-0を3機、2機のHe 119と共に購入し、ハインケル社からクルト・シュミット技師を招聘して、ハインケル100型戦闘機(略符号AXHe1)の名称で、日立航空機千葉工場による国産化を前提に評価試験がなされた。小福田晧文(海軍航空技術廠飛行実験部戦闘機担当主務部員)は、相当数購入するという協定があったとしている。日本海軍ではそれ以前に九六式艦上戦闘機との比較のためHe 112を少数購入したものの、高速ではあるが九六戦より上昇力や運動性に劣ると判断され発注をキャンセルしていた。He 100は全備状態で670 km/hもの高速を実地に発揮して関係者にショックを与え、局地戦闘機としての適性を示したが、操縦が困難で航続力に劣ること、生産に要する技術が当時の日本の水準を超越していたこと、輸送中に破損した生産治具類を再手配したところ開戦によって輸送手段を阻まれたこと、緒戦の快進撃の最中で防空思想が薄れていたこと等から再び採用は見送られた。構造はその後の海軍機を設計する上での参考にされている。実際に本機を操縦した小福田は、上昇飛行中に主翼上面前方の孔から蒸気機関車のような蒸気が噴出して驚いたと回想し、無骨で実用的で合理主義、時に搭乗員の意見も量産性のために無視するなど、ドイツらしい戦闘機と述べている。 独ソ開戦前のソビエト連邦も、性能を落とす改造を受けた前期試作機(V1, V2, V4, V5, V6, V7) を購入している。
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