千葉工場
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1935年(昭和10年)に海軍航空本部長となった山本五十六中将の航空産業拡大の要求で、日本の航空機産業を育成するために、山本は三井、住友、日立などの大会社にも航空産業に参入してもらえないかと考えていた。これに応じて建設された工場である。所在地は千葉郡蘇我町(現:千葉市中央区蘇我)沖の埋立地。1940年(昭和15年)に進出が決定し、内務省の指示で直ちに埋め立てが始まった。1942年(昭和17年)4月に操業を開始し、エンジンと機体の両方を製造する。最盛期には12,000人の従業員が在籍した。当初は大森工場や羽田工場へ部品供給や部分組立を行っていたが、1944年(昭和19年)後半以降は千葉工場の生産ラインが立ち上がり、大森・羽田両工場の生産を引き継いだ。零式戦闘練習機は千葉工場で生産されたが、部品供給元への米軍の攻撃による部品不足や、空襲による生産中断のため、生産数は計画されていた生産能力の半数強に留まった。
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