観光のまなざし
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アーリは、ミシェル・フーコーの「まなざし」の概念を用いて、近代の観光現象に迫ろうとしている。アーリいわく、「観光とは、日常から離れた景色、風景、町並みなどに対してまなざしを投げかけること」である。 アーリは、フーコーにならい、近代人が身につけたのは、対象を可視的世界の客体としてのみ理解する「鑑識眼」というまなざしであったと指摘する。こういった視覚中心主義が観光に入り込む契機となったのは、科学的「鑑識眼」はもとより、その大衆バージョンであるカメラ、旅行ガイドブック、スケッチ、バルコニー、観光地図の発明によってでもあった。さらに、近代産業社会において、大量かつ高速な人・モノの長距離輸送(ひいてはマス・ツーリズム)が発達することで、ツーリストの日常生活空間と観光地とが空間的に断絶したものとして経験されるようになった。 そして、こうした空間の断絶によって、観光地の景観を一方向的かつ客体的に消費する対象として捉える視線が広く生まれることになったのである。この視線は、対象とは別の地平からまなざしを投げかける事で成立するものであり、対象に一方的な意味づけを行うものであった。この「観光のまなざし」は、観光地を前近代の「未開の自然」とする視線を浴びせることで、近代産業社会のツーリスト自身を「秩序だった近代人」として再確認させることになった。すなわち、観光のまなざしは、混沌/秩序と同型の自然/文化の二分法を再生産する装置としても機能したのである。
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観光のまなざし
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「まなざし (哲学)」の記事における「観光のまなざし」の解説
観光研究においてまなざしはよく使われる概念である。ジョン・アーリは「観光学の必須文献」とされている 『観光のまなざし』初版を1990年に刊行し、本書はその後2回にわたって改訂されている。本書においてアーリとヨーナス・ラースンは、ミシェル・フーコーを引用しつつ、人々は「社会的に構成され制度化され」たまなざしを観光で遭遇したものに対して向けており、このまなざしが階級やジェンダー、出身地域、年齢、受けた教育などさまざまな要因によって規定されていることを指摘している。
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