観光の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 08:38 UTC 版)
西海国立公園の中核をなす南九十九島の展望所は、戦前には弓張岳中腹の鵜渡越、戦後は弓張岳山頂が最大規模であった。しかしこれらは九十九島から遠く離れており、正面に見えるのは島影が比較的少ない牧島~金重島エリアであったため、迫力に欠ける嫌いがあった。 鹿子前観光桟橋と佐世保市亜熱帯動植物園の整備にともない、南九十九島に近接する船越地区に観光客が流入するようになると、動植物園を見下ろす石岳山頂に展望所を設け、牧島~松浦島エリアの展望が可能になった。ポスター等に用いられる九十九島の風景は、たいてい石岳展望台から撮影したものである。 しかし一部の観光客は、さらに南の下船越地区から松浦島を眼下に見下ろす展望スポットを見出していた。これが展海峰である。ここから眺めると、弓張岳からは山陰に隠れて見えない、干潮時に3つ・満潮時に1つの島になる黒小島が見え、遊覧船が松浦島の入江でターンする様子や、丈ヶ島と斧落の海峡をすり抜ける姿もよく見える。さらに周囲を見渡すと佐世保港から大島・崎戸島まで広い範囲が見渡せる。ただし、あまりにも既成の観光地から離れているためにメジャー化する機会は訪れずにいた。 1980年(昭和55年)頃から、南九十九島観光のてこ入れが始まる。展海峰の造成はその第一弾であった。翌1982年(昭和57年)には3代目遊覧船「海王」が就役、1983年には佐世保海洋リゾート構想が立ち上げられた。この構想は、鹿子前のみならず、南九十九島を囲む大崎半島・展海峰・白浜海水浴場を相互に結びつけた観光開発である。総面積23ヘクタールに及ぶ展海峰整備はこの構想の核となるもので、1億円が投資された。
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