西工場建設と設備更新
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 06:02 UTC 版)
化粧台が普及していくに従い、消費者ニーズはさらに多様化の度合いを深めていき大型化、高級化の道を辿っていった。昭和60年代に入り予想もしなかった若年男女におけるオシャレとしての「朝シャン」が流行し、この習慣が定着しつつあったことから、手軽でしかも衣服を濡らさずにシャンプーができる洗髪機能付洗面化粧台はその便利性からヒット商品となり爆発的人気で売上を伸ばしていった。これに伴い、住設機器メーカー各社は、競って新商品を開発しつぎつぎと市場に出したため化粧台にセットされる洗面ボウルの需要も急激な増加となり、しかもボウル材質が種々あるなかで陶器製のボウルはその清潔感、高級感から最も人気が高く得意先からの供給量の増加要請や新規取引申し入れが相次ぎ受注が多忙を極めたことから工場は洗面ボウルを中心にフル稼働の状況が続いた。しかしながら増加する受注に対応して増産に努めたが、生産能力からみてこれ以上の増産は無理な状況となり、また気になっていた設備の老朽化が歩留の低迷をまねき、シャトルキルン2基を増設して、供給量の増加に対処したが需要増を満たすことは出来ず、このままではお得意先の信用と市場を失いかねない憂慮すべき自体になると社長の経営判断から、早急な設備対応による増産体制の実施により問題の解決をすべく昭和62年に計画策定の作業に入った。設備改善の基本的な考え方として、旧設備での増設は不可能なことから新規に工場を建設、成形能力の拡張を図ること、主力設備の成形、焼成設備については最新技術を取り入れた生産性、省力化に優れたものを導入することとし、新設備の稼働後に旧トンネル窯を撤去し建屋を補強して、造型場の拡張で増産に対応しようとするものであった。しかしこの設備計画実施にあたっては、膨大な資金を要する試算となり、会社の資産調達能力をはるかに超えた額となったことから計画の変更により方法を模索したが実施決定には至らなかった。この時期、松下電工株式会社との取引関係は、洗面ボウルを初め便器類など大幅に増加していたことから協力会社としての企業体質の強化と品質保証や安定供給責任等、生産管理技術のレベルアップが求められ、その技術取得の為技術者派遣による指導を受けていたことから人的な交流も深まっていたこともあって、会社の設備上の悩みを相談し協力の要請を申し入れた。松下電工株式会社としても、水廻り商品群の拡大を戦略としていたことから、その商品に組み込まれる衛生陶器の安定供給先を求めていたこともあり、協力申し入れに対し同意が得られたことから巨額の投資による設備更新の決定がなされた。
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