行政・経営・国際事業における貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:55 UTC 版)
「飯塚幸三」の記事における「行政・経営・国際事業における貢献」の解説
1986年、工業技術院の院長に着任。基礎研究の重要性を強調し、新しいNEDOの発足(「新エネルギー・産業技術総合開発機構」への改組)や新規事業導入(研究基盤整備事業、研究開発事業、国際研究協力事業)を推進。「脳機能の解明のための基礎研究」や「生体機能のための分子論的アプローチのための基礎研究」を支援する国際ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム機構(英語版)の設立を推進した。 1989年に工業技術院を退官し、機械振興協会の副会長に着任。同年8月から1991年5月まで、同協会の技術研究所長も務めた。その後クボタの常務取締役、専務取締役、副社長を歴任。クボタでは技術開発本部を組織し、同本部長を務めた。この間、文部省学術用語集「計測工学編」における増補改訂のための調査研究にも関与。1992年度には計測自動制御学会会長を務め、1995年度から4年間は国際ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム機構の会長も務めた。 その後、日本工業標準調査会では副委員長に就任。1996年に閣議決定された科学技術基本計画の作成に携わった科学技術会議 総合計画部会 基本問題分科会にも参加し、1996年から1999年には中華民国(台湾)の行政院科学技術部で国外顧問も務めた。さらに、国際度量衡委員会では日本人初の副委員長に選出され、1999年の委員会では世界計量記念日を提案した。また、1997年から国際計測連合(英語版)会長を務め、1999年に日本で初開催された世界大会でも大会委員長を務めた。 2000年、クボタ副社長を退き、顧問に就任。その後は日本計量振興協会会長や三豊科学技術振興協会理事長に就任。日本計量振興協会では計量士の教育や計量・トレーサビリティの普及・教育を推進する事業を展開し、経済産業省が11月1日の計量記念日に実施する行事では計量記念日組織委員長を務めていた。
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