芸人としての飴売りとは? わかりやすく解説

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芸人としての飴売り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 18:18 UTC 版)

唐人飴売り」の記事における「芸人としての飴売り」の解説

唐人飴売り限らず江戸における飴売り様々な仮装パフォーマンスで客の目を引きつけた。その光景浄瑠璃芝居などで再現され、それが飴売り人気をさらに向上させた。例え文化年間(1804年 - 1818年)から天保年間(1830年 - 1844年)に女装をし女の声色客寄せをした「おまんが飴」と呼ばれる飴売り評判になり、浄瑠璃外題花翫暦色所八景』で4代目中村歌右衛門演じた文久年間(1861年 - 1863年)には日本橋で、鉦を叩くからくり人形傍らに、三味線鳴らし鎌倉節唄う飴売りは、「飴売渦」として5代目尾上菊五郎(当時13代目市村羽左衛門)が演じた前述した半七捕物帖の中での会話出てくる、「和国橋髪結い藤次芝居に出る唐人市兵衛」も文久3年(1863年)に市村座4代目市川小團次演じた三題噺高座新作』に出てくる主人公髪結藤次女房おむつの父親である唐人飴売りである。なお、この芝居は元は小團次と親交があった河竹黙阿弥三題噺作成したのである唐人飴売り口上は、『近世商買狂歌合』や『有喜物真似舊觀帖』に記されている。 唐のナァ唐人のネ言には「アンナンコンナン、おんなかたいしか、はへらくりうたい、こまつはかんけのナァ、スラスンヘン、スヘランシヨ、妙のうちよに、みせはつじよう、チウシヤカヨカパニ、チンカラモ、チンカラモウソ チンカラモウソ、かわようそこじやいナァ、パアパアパアパア コリヤ~~来たハいなこれハ九州長崎丸山名物ヂヤガラカ糖お子さまがたのお目ざましおぢいさんおばァさんにあげられ第一寿命長くなるお若かたにあげられていろの取れるがきんミやうじやおや~~どうせうおやどうしやう辛いあまいのチヤカラカ糖パァ~~ 長崎丸山には唐人屋敷があり、ここでも舶来由来謳われている。この飴売り口上飴売りの間ではある程度通だったものらしく、時代下って大正2年(1913年)に竹久夢二小唄集、『どんたく』の中に有喜物真似舊觀帖』にそっくりの唄を記している。 まちの角では早起き飴屋太鼓がなつてゐる「あアこりやこりやきたわいな」これは九州長崎丸山名物ぢやがら糖お子様がたのお眼ざまし甘くて辛くて酸つぱくてきんぎよくれんのかくれんぼ おつぺけぽうのきんらいらい

※この「芸人としての飴売り」の解説は、「唐人飴売り」の解説の一部です。
「芸人としての飴売り」を含む「唐人飴売り」の記事については、「唐人飴売り」の概要を参照ください。

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