胚誘導とオーガナイザー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 09:10 UTC 版)
「ハンス・シュペーマン」の記事における「胚誘導とオーガナイザー」の解説
1908年、シュペーマンはロストック大学で動物学・比較解剖学の教授に就任し、1914年にはベルリン・ダーレム(英語版)地区にあったカイザー・ヴィルヘルム生物学研究所 (Kaiser Wilhelm Institute for Biology) のディレクターに就任した。ここでの研究は彼の名を更に高めた。ウォレン・ハーモン・ハリス(英語版)やエセル・ブラウン・ハーヴィー(英語版)の研究を参考に、自分のスキルを原腸形成(英語版)研究へと活用した。彼は胚中の特定部位(原始結節(英語版))を他の胚へ移植する実験を行った。 1919年から、シュペーマンはフライブルク大学の動物学教授になり、動物学の講義を担当した。1923年から翌24年にかけては、学長の職にも就いた。 フライブルクにあったシュペーマンの研究室には、博士号を取ったヒルデ・プレショルト(のち、マンゴルト)がいた。実験は彼女の助けを得て数年間行われ、1924年に全容が論文として発表された。彼らは、胚中の一部分で、別の初期胚に移植すると、移植された場所に関係無く二次胚を誘導する特定部位の存在を報告した。シュペーマンはこれを「オーガナイザー・センター」または「オーガナイザー」と呼んだ(日本語では形成体との訳語が当てられることがある)。後に彼はオーガナイザーの部位によって、胚の異なる部分が誘導されることを解明した。この研究は、胚発生の初期段階では予定運命が決定していないことを示す。また、より後期の胚にオーガナイザーを移植しても誘導が起こらないこと(つまり、この時までに予定運命が決定していること)を発見した。 自身の近代的名声とは裏腹に、シュペーマンはハンス・ドリーシュ、アレクサンダー・ギュルヴィッチ(英語版)、ハロルド・サクストン・バー(英語版)などと同様に、新生気論者の「フィールド」解析に参加し続けていた。一方で、ヨハネス・ホルトフリーター(英語版)、ドロシー・ニーダム(英語版)、ジョゼフ・ニーダム、コンラッド・ワディントン(英語版)などの追実験によって、煮沸や固定、冷凍を受けたオーガナイザーでも誘導能があることが示された。この結論は、実際の誘導因子が生きたものではない分子であることを示したが、20世紀の終わりになるまで、どのようなシグナルが働いているかの研究は遅々として進まなかった。 1928年には両生類の胚を使い、初の体細胞核移植(英語版)を成功させた(これはクローン技術の始まりとも言える業績である)。彼は1935年に、ノーベル生理学・医学賞を授与された。オーガナイザーの胚誘導に関する彼の理論は、1938年に出版された本 "Embryonic Development and Induction" に記されている。この本では、ヒトを含めた哺乳類の体細胞核移植の可能性も示唆されている。
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