継続戦争から合弁事業創設へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:07 UTC 版)
「ヴァナヤン自動車工場」の記事における「継続戦争から合弁事業創設へ」の解説
1942年から1943年の冬までの間、フィンランド国防軍は、継続戦争が直ぐに終結する見込みが無いと推測し、この予想に基付き緊急的な軍用車両の確保に迫られている。長期的に見積もってフィンランド陸軍には少なくとも7,000台のトラックとバスが必要であるとの報告が行われている。スウェーデンやスイスなどの中立国は、フィンランドに対し車両を販売することは厭わないが、自国通貨での前払いを要求している。フィンランドには十分な外貨準備が無かったため、残された唯一の道が自国製造によるものであった。 当時、フィンランド唯一の大型自動車メーカーであったフィンランド自動車工業(SAT)は、ソビエト軍による空襲を受ける可能性を考慮し、それまで工場があったヘルシンキよりも空襲の可能性が低いであろうカリスに新工場を建設。SATのGMであったトーア・ネスリング(Tor Nessling)は、当初の計画よりも工場の拡大を提案。また、もう1つの選択肢として、ネスリングは空襲の影響を最小限に抑えるため各地に工場を分散する計画を検討している。SATは大型車の製造経験はあったが、フィンランド国内の経済的および技術的なリソースは限られていた。大型車の輸入業者や一部の政治派閥は、SATが戦争の恩恵を受け、フィンランド市場で支配的な地位を確立しようとしているのではないかと推察している。 カール・ワルデン国防相は1943年3月3日と4日に開催された会議に電話をかけ、深刻な車両不足の解決策を模索している。会議には、政府と軍指導部の代表、およびフィンランドの主要な工業メーカーの責任者が出席している。そこで、SATと国の両方が関与する会社設立を提案する委員会が発足している。この提案は、3月20日に行われた政府会議の場で発表が行われ、企業名は「シスと相互関係」というかばん語である、ウュフテイ-シス(Yhteis - sisu)であった。これはシス車の共同生産を意図した意味も含まれており、本社はヘルシンキのエロッタヤに置かれた。ウュフテイシスのGMにはSATのGMであったネスリングが起用されているが、この提案には消極的であった。 国防軍は製造される車両に厳しい要件を課したが、新型を開発している時間的余裕は無く、旧式ではあったものの最良な選択として選ばれたのが既にシスで製造が行われていた大型トラック「Sisu S-21」の増産案であった。SATは、Sisu S-21大型トラックの製造をウュフテイシスに譲渡することに合意。ウュフテイシス製のモデルは「S-22」と名付けられている。
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