絵・詞の特徴・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 14:57 UTC 版)
「桑実寺縁起絵巻」の記事における「絵・詞の特徴・評価」の解説
榊原悟は、全編に金泥を下地にし、濃彩と丁寧な描線を引くのが、絵巻の特徴と述べる。 画面上下の大部分および中央部にも、場面に応じて白緑(びゃくろく)のすやり霞が覆っているが、これは室町後期の絵巻に共通する。金泥もすやり霞に用いられている。 上巻1段冒頭の、あまりに大きな桑の木については、「大樹」と呼ばれる征夷大将軍、すなわち奉納者の義晴を表すと推察される 。また、三粒の種を、薬師如来・日光菩薩・月光菩薩に見立てる説もある。 上巻第1段の伽藍は、下巻第1・2段の伽藍と配置が異なっている点、及び詞書で言及がある点から、桑実寺ではなく、観音正寺を描いたと考えられる。うねった田んぼの描写も、これまでの日本絵画には見られない表現で、光茂筆では「日吉山王祇園祭礼図屏風」 (サントリー美術館蔵)にも見られるが、このような表現を、土屋貴裕(東京国立博物館)は「バロック的」と評する。 下巻1段での、馬に乗って飛ぶ如来らの眼下に広がるパノラマ風景は、それまでの絵巻に見られないものだが、安土山らの稜線を含む描写は、写生に基づいていることが確認された。 下巻1・2段での本堂を見比べると、杮葺から檜皮葺に変わっている。後者の方が建造・維持に手間がかかるので、その点から、寺の繁栄が伺える。松木裕美(東京女学館大学)は、これら伽藍の描写は、上巻第1段の観音正寺を含め、創建当時の復元図ではなく、光茂が描いた当時の状況であろうとする。桑実寺は天台宗に属するが、本堂の屋根が大きく反った点は、禅宗の影響が見られるとする。 下巻第3段の諸仏化現は、第2段と話がつながらず、唐突な感が否めないが、上巻第1段の大樹(=義晴)と結び付け、彼に仏の加護があるよう、帰京できるよう祈願したのだと解釈できる。それは詞書の「昼夜六時をまもりて、よろづの悪魔外道をちかづけ給はず」からも想像できる。 相澤正彦(成城大学)は堂宇の描写に唐絵の影響がみられるとし、新時代のやまと絵を創出したと述べる。若杉準治(京都国立博物館)は、「當麻寺縁起絵巻」や「長谷寺縁起絵巻」といった、他の光茂作と異なり、濃彩が用いられている点について、「春日権現験記」や「玄奘三蔵絵」等、高階隆兼の絵巻に感銘を受けた、三條西実隆の影響があるのではと、推察する。髙岸輝(あきら・東京大学)は、本絵巻を「光茂様式の頂点」と見なし、相澤正彦は、光茂作品が16世紀やまと絵のなかで群を抜いて完成度が高いと述べる その他、堂宇や上巻第2段で見られる、吹抜屋台での定規引き描写など、光茂の運筆の巧みさが窺えるが、1960年代までの美術史研究者の間では、本絵巻の評価は高くなかった。 上巻1段の宸筆について、髙岸輝は、「大ぶりの文字、くっきりとした濃墨、粘りのある強い筆運び」とし、「威風堂々たる王者の書」「数ある日本の絵巻の中で、これほど格調高い詞書はない」と述べる。
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