結成から解散までの歩み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 12:39 UTC 版)
「プロコル・ハルム」の記事における「結成から解散までの歩み」の解説
シングル「青い影」で一躍有名になった彼らの初期のサウンドを特徴付けるのは、ゲイリーのピアノとマシューのオルガンからなるツイン・キーボードの編成である。このスタイルについては、ザ・バンドとの影響関係も指摘されている。また、R&B的要素とクラシック的要素を融合させた独特の音作りは、1970年代のプログレッシブ・ロックの先駆をなしたとも評される。特に、5部構成のロック組曲「In Held Twas in I」が収録されたセカンド・アルバム『月の光』(1968年)と、ポップな作風を指向したサード・アルバム『ソルティ・ドッグ』(1969年)は初期の佳作とされている。その後、1969年にマシューがバンドを脱退すると、ジミ・ヘンドリックスに深く傾倒していたギタリストのロビン・トロワーの存在感が圧倒的となり、彼の奏でるギター・リフを前面に押し出したハードな楽曲が増加してくる。 しかし、1971年にはロビンもまたバンドを脱退し、ゲイリーの志向するクラシカルな路線が復活することとなった。1972年にはカナダのエドモントン交響楽団との共演によるライブ・アルバムを発表するが、これはディープ・パープルのロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演盤などと共に、当時ロックとクラシックの融合が盛んに試みられた事を例証する作品と言えよう。翌1973年の7作目のアルバム『グランド・ホテル』は、今日では1970年代プログレ・シーンを代表する作品の一つに数えられており、彼らの後期の傑作とされる。ホテルを退廃的な物質文明(西欧文明)の象徴と見なすコンセプチュアルな歌詞と、重厚華麗な演奏が特徴である。その後、ロックンロール草創期の代表的なソングライターだったジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのコンビをプロデュースに迎え、時流に即してAOR的要素をとりいれた1975年の『プロコルズ・ナインス』である程度の商業的成功を収めるものの、「すべてをやりつくした」というゲイリーの判断で1977年には解散を迎えている。
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