結成から高校卒業まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:53 UTC 版)
「sympathy (バンド)」の記事における「結成から高校卒業まで」の解説
2011年、高知県立高知小津高等学校のフォークソング部で出会った柴田、田口、今井、門舛の4人によって結成される。柴田以外は楽器未経験で、担当パートはみんなで第1希望を言い合って決めた。 バンド名は英語の辞書を開いた際にたまたま出てきた単語が「sympathy」で、読みもかわいいし綴りもいいからとそのまま命名。『バンド名が「同情」ってどうなんだろう』とも思ったが、あとで意味を調べたところ、「共鳴」や「痛みを分かち合う」という意味もあると知って後付けで由来を補強した。 高校1年の終わりに結成から数ヶ月、まだ持ち曲もほとんどない状態で出場した地元のコンテストで初出場でいきなり優勝、この特典としてレコーディングの権利を手に入れる。それまではGO!GO!7188やチャットモンチー、ASIAN KUNG-FU GENERATION、RADWIMPSなどのコピーをしていたが、レコーディングのためのオリジナル曲が必要となり、その際バンドで初めて作った曲が「あの娘のプラネタリウム」である。これ以降オリジナル曲を増やすようになり、地元のライブハウスの店長に自作曲を聴かせるなど試行錯誤する。 高校卒業直前にミニアルバム「カーテンコールの街」をレコーディングするが、4人の進学先がバラバラだったために卒業と同時に活動休止。進学のため柴田は上京、今井は京都に移住、田口と門舛は高知に残る。その後、「カーテンコールの街」は2014年8月6日に高知のインディーズレーベル「pocketbook records」からリリースされた。この作品も自主的に作ったものではなく、ライブハウスの関係者にオリジナル曲でライブするために1週間で作ってくるよう言われて宿題のような感じで作ったものだという。
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