結成とデビュー (1980年代 - 1988年)
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「キングダム・カム」の記事における「結成とデビュー (1980年代 - 1988年)」の解説
1980年代にアルバム『バーンズ・ライク・ア・スター』『レット・ゼム・トーク』をリリースし、「Break Down The Wall」のヒットなどで知られたアメリカのハードロック・バンド「ストーン・フューリー (Stone Fury)」の元メンバーで、ドイツのハンブルク出身のボーカリスト、レニー・ウルフ (Lenny Wolf)は、一旦ドイツにもどった後、ふたたびアメリカにもどりポリグラムと契約。アメリカ出身のギタリスト、ダニー・スタッグ (Danny Stag)、リック・スタイアー (Rick Steier)とドラマーのジェイムス・コタック (James Kottak)、イタリア出身のベーシストのジョニー・B・フランク (Johnny B. Frank)と「キングダム・カム」を結成する。 1988年、レニー・ウルフは、メタリカやボン・ジョヴィ、エアロスミスなどとの仕事で知られるプロデューサー、ボブ・ロック (Bob Rock)に紹介され、そしてボブ・ロックが彼らのデビュー・アルバムをプロデュースすることとなった。バンドはカナダのバンクーバーにあるリトルマウンテン・スタジオでレコーディングを行った。レニー・ウルフとボブ・ロックがニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオでミキシングを行っている際、「ゲット・イット・オン」を聴いて気に入ったジョン・カロドナー (John Kalodner)は曲を個人的にカセットテープに録音した。しかしそのテープがまわりまわって最終的に外部に漏れてしまい、バンドはもちろんレーベルも知らないうちに「ゲット・イット・オン」はアルバム・リリース前にラジオでオンエアーされてしまった。音楽誌『Music Network』がこれを「なぞのバンド」として報じたことで大きな話題となり、連日ラジオにリクエストが殺到する事態になった。 同年、1stアルバム1stアルバム『キングダム・カム』がリリースされるや、そのレッド・ツェッペリンなどブルースロックの影響を色濃く受けた、ホワイトスネイクなどにも通じるハードロックは瞬く間にヒットし、ビルボード12位を記録しゴールドディスクとなるなど世界的なヒットとなった。またこの年、バンドはモンスターズ・オブ・ロック北米ツアーにドッケン、スコーピオンズ、メタリカ、ヴァン・ヘイレンらとともに参加した。 しかし、彼らの楽曲やレニー・ウルフのボーカルがあまりにレッド・ツェッペリンを連想させたこと、また当初バンドが「なぞのバンド」とされたため、曲を聴いてレッド・ツェッペリンの再結成ではないかとの憶測も出るなどしていたことなどから次第に批評家やミュージシャンなどから批判され始め、バンドはレッド・ツェッペリンのクローンなどといったレッテルを貼られ激しい批判の対象とされた。ロック・ギタリストのゲイリー・ムーア (Gary Moore)にいたっては、アルバム『アフター・ザ・ウォー』収録の「Led Clones」という曲で露骨に批判した。ダニー・スタッグが「レッド・ツェッペリンを聞いたことはない」等と発言したと雑誌が報じたことも状況を悪化させる要因のひとつとなった。ただしそれはダニー・スタッグの発言の一部だけを意図的に切り取ったもので、実際の彼の発言内容とは異なるものだった。批判は収まらず、それはアルバム・セールスやライブの動因にまで大きな影響を及ぼすこととなった。なお、これらの事に関連して、「キングダム・カムがレッド・ツェッペリンから訴えられ、レッド・ツェッペリンが勝訴した」というような話が語られることが時折あるが、実際にはそのような事実はない。
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