結成〜デビュー
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1988年に結成。当初は元SHOCKの松尾賢一がボーカル、元URGH POLICEの吉井がベースを担当していたが、以前から親交のあった元MURBASの廣瀬洋一をメンバーに誘い、吉井はギターに転向した。さらに「KILLER MAY」のドラムとして1986年にメジャーデビューしていた菊地英二が同バンドの解散後に加入する。後に松尾が吉井との「音楽的な意見の食い違い」を理由に脱退したため吉井がボーカルに転向し、「KILLER MAY」のギターとして活動していた英二の実兄・英昭が加入。1989年12月28日に現メンバーで初めてのライブを行う。 当時は渋谷区のライブハウス「渋谷La.mama」を拠点に精力的なライブ活動を行っていた。バンド初期はデヴィッド・ボウイ、ミック・ロンソン、T.Rexなどを彷彿とさせるグラムロック色が強く、メンバーが奇抜な衣装に派手な化粧をしたりするなど後のヴィジュアル系のようなルックスをしており、ヴィジュアル系を取り扱う雑誌やライブイベントにも参加していた。 当初の観客動員は好調であったが、ダークな楽曲が中心だったこともあり徐々に動員数は減少。しかし、グラムロックイベントにて「SLEEPLESS IMAGINATION」(『Bunched Birth』収録曲)を初披露して以降、動員数は増加した。ベースの廣瀬は「ダーク色もありつつ、デヴィッド・ボウイのような煌びやかさをミックスしたグラムロックを鳴らし始めたからこそ、動員数が増えたのかもしれない」としている。また、吉井がライブで女装をし、オカマキャラを演じることにより当初苦手だったMCが「面白い」と評判になったことも動員数増加の後押しとなった。当時の観客層は9割女性だったという。
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結成〜デビュー
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1978年、オリヴァ兄弟を中心としてサヴァタージの前身バンドであるアヴァター(Avatar)が結成された。その後スティーヴ・ワコルズ(Ds)が加入、1981年にはキース・コリンズ(B)が加入してラインナップが固まった。 アヴァターは、1982年に地元フロリダ州のラジオ局WYNFが発売したコンピレーション・アルバムに2曲を提供し、1983年にはデビューEP「City Beneath the Surface」を発表した。しかし、同名のバンドがいたことから、アヴァターは「サヴァタージ」と改名し、デビュー・アルバム『サイレンズ』を発表。
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