結成〜インディーズ期とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 結成〜インディーズ期の意味・解説 

結成〜インディーズ期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 14:47 UTC 版)

筋肉少女帯」の記事における「結成〜インディーズ期」の解説

1979年当時中学生だった大槻ケンヂ内田雄一郎組んだバンド「ザ・ドテチンズ」(別名ドンズ。当時大槻あだ名より命名)が始まり大槻は健康青竹踏み打ち鳴らし内田エレクトーン掻き鳴らした。 ドンズが解散した後の1982年二人高校進学期に再びバンド筋肉少年少女隊」を結成大槻は「JAGATARAのようなファンクバンドを志向していたものの、練習スタジオでファンク上手く説明できず、結局ディープ・パープル」の様な曲調になったそうである。このやりとりから代表曲のひとつである『釈迦』が生まれた4月6日ライブハウス新宿JAM伝染病解散ライブ」にてライブデビュー。 1984年バンド名を「筋肉少女帯」に改めナゴムレコードよりインディーズデビューとはいえまだまだこの頃ライブでは大槻うどん粉顔面白塗りの上裸体包帯幾重にも巻きつけて歌唱するなど、「当時学園祭バンドみたいなノリで、完全にキワモノ」(大槻談)であった。 同じ頃、後に第22期筋肉少女帯メンバーとなる5人がそれぞれのバンド大槻内田筋少本城筋少有頂天・エッグレイヤー、太田YTJ橘高はSLEAZY LUSTER)でYAMAHAコンテスト出場。たびたび顔を合わせる旧知の仲だった。筋少パフォーマンス賞や審査員特別賞受賞橘高太田それぞれベストギタリスト賞、ベストドラマー賞を取るなど、対照的な成績残している。 1985年三柴江戸蔵参加1987年ナゴムレコードより発売自主制作EP高木ブー伝説』が話題を呼ぶ冗談画報11PMなどに出演その際演奏した高木ブー伝説ドリフターといった楽曲歌詞問題となったりもした。そのためドリフターズ所属事務所名乗る者から苦情電話寄せられ、『高木ブー伝説』は結局自主回収という形で販売中止となる。しかし、その電話は後に悪戯発覚する大槻によれば、この一件筋肉少女帯一時解散危機に立たされたが、他ならぬ高木ブー擁護によって事なきを得たという。

※この「結成〜インディーズ期」の解説は、「筋肉少女帯」の解説の一部です。
「結成〜インディーズ期」を含む「筋肉少女帯」の記事については、「筋肉少女帯」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「結成〜インディーズ期」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「結成〜インディーズ期」の関連用語

結成〜インディーズ期のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



結成〜インディーズ期のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの筋肉少女帯 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS