経済に関するナチスのイデオロギー
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「ナチス・ドイツの経済」の記事における「経済に関するナチスのイデオロギー」の解説
「ナチズム」も参照 経済におけるナチズムのイデオロギーは不鮮明である。結党時からのメンバーで25カ条綱領の策定にも携わり、党の経済委員会の座長を務めていたゴットフリート・フェーダーは利子奴隷制の打破や企業の国有化、国際金融資本との戦いを持論としていた。ヒトラー自身も『我が闘争』においてフェーダーの主張を一部取り入れているが、同時に「国家は民族的な組織であって経済組織ではない」「国家は特定の経済観または経済政策とは全く無関係である」とも述べており、統一的なナチス経済政策というものは存在しなかった。 一方で経済政策について熱心であったのはグレゴール・シュトラッサーを中心とするナチス左派と呼ばれる社会主義的改革を求める派閥であった。しかしヒトラーが政権獲得のために保守派や財界に接近すると、左派は猛反発した。ヒトラーは1926年のバンベルク会議で左派を押さえこんだが、その後も一定の勢力は保持していた。1932年7月にナチ党が公表した経済振興策はシュトラッサーが起草したものであった。この振興策には道路網計画などの一部は後のナチス時代において実行されるが、この計画の実質的な発案者はユダヤ人のロベルト・フリートレンダー=プレヒトル(ドイツ語版)であった。また5月にはフェーダーの持論に基づく、全銀行・信用供給機関の国有化を提案している。政権獲得後にはこれらの計画は白紙に戻され、フェーダーや左派の思想がそのまま実行されることはなかった。 ヒトラーは1933年2月8日の閣議において、「あらゆる公的な雇用創出措置助成は、ドイツ民族の再武装化にとって必要か否かという観点から判断されるべきであり、この考えが、何時でも何処でも、中心にされねばならない」「すべてを国防軍へということが、今後4~5年間の至上原則であるべきだ」と言明するなど、ヒトラー内閣時代の経済政策はすべて軍備増強を念頭に置かれたものであった。 経済政策の基本には、民族共同体の構築、東方への侵略と植民による生存圏(レーベンスラウム)の拡大、そのための軍拡があった。個別政策では、経済団体統制に用いられた指導者原理、農業政策における独立小農民保護政策、労働環境からの女性排除、そして経済の脱ユダヤ化などはナチズムの思想に基づくものであった。
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