終戦直後の戦犯追求とは? わかりやすく解説

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終戦直後の戦犯追求

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 02:00 UTC 版)

横光利一」の記事における「終戦直後の戦犯追求」の解説

敗戦後連合国軍占領下の日本で、戦時協力をした「文壇戦犯」と名指し非難を受ける。その主な論者は、1945年12月設立され新日本文学会小田切秀雄宮本百合子杉浦明平であった小田切秀雄1946年6月新日本文学会機関誌新日本文学』に「文学における戦争責任追及」を発表し、そこで「菊池寛久米正雄中村武羅夫高村光太郎野口米次郎西條八十斎藤瀏斎藤茂吉岩田豊雄火野葦平横光利一河上徹太郎小林秀雄亀井勝一郎保田與重郎林房雄浅野晃中河与一尾崎士郎佐藤春夫武者小路実篤戸川貞雄吉川英治藤田徳太郎山田孝雄らは最大かつ直接的な戦争責任者である」と問いただし、「文学界からの公職罷免該当者である」と断定した杉浦明平は「横光抹殺論」を展開した宮本百合子1947年昭和22年)に「横光利一小林秀雄というような人々悲惨は、いかに文飾したとしても、自身を、日本民主的文学伝統固定的対置させた反措定としての存在以上に発展せしめる人間的能力をもっていないという点です。そのために動的な歴史過程にあっては真実の反措定でさえもありえず、単に反動的存在でしかありません」と非難した横光自身はこうした動き家族に「みんなして、俺の足を引っ張りおる。横綱倒せば、名があがるからのう。」と寂しく呟いたという。 こうした追求が進む中、文壇では退廃的なムードもてはやされ横光小説は「神秘めかした観念主義」として冷たく否定されていったが、戦争責任追及その後戦争責任者の資格再吟味」や色々な事情絡まって曖昧なかたちで消滅したため、横光には「文壇戦犯としての指名苦々しいものではあったものの、横光作家生活を脅かすほどの打撃はならず横光文学戦後もなお読者獲得していた。この指名について橋本英吉横光に話をした際、横光言下に「そんなことは大した苦痛ではない」と言い切った。むしろ、横光苦痛はその指名よりも、『旅愁』を終章にしなければならなくなった敗戦後世相と体力の衰弱にあった

※この「終戦直後の戦犯追求」の解説は、「横光利一」の解説の一部です。
「終戦直後の戦犯追求」を含む「横光利一」の記事については、「横光利一」の概要を参照ください。

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