終戦直後の三崎臨海実験所でのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:53 UTC 版)
「團勝磨」の記事における「終戦直後の三崎臨海実験所でのエピソード」の解説
團が帰国後に研究の場としていた東京帝国大学の三崎臨海実験所は、日本海軍によって接収されて特殊潜航艇の基地にされていた。そのため、終戦直後には進駐軍による破壊の危機に瀕していた。しかし、團が施設のドアに貼り紙した「ここは60年以上の歴史を持つ臨海実験所である。(中略)兵器や軍事施設なら破壊してもよいが、日本の学生のための文化施設は守ってほしい。(中略)そして私達が再びここでの研究に戻れる可能性を残してほしい」というメッセージが進駐軍の兵士を思いとどまらせ、実験所は破壊を免れた。その書き置きには"The last one to go"(最後に去る者)とだけ署名されていたが、文中でウッズホール海洋生物学研究所に言及していたことから米海軍の軍人の手によって留学中に團が学んでいた同研究所に送られた。このメッセージは後に『タイム』誌で、“Appeal to the Goths(ゴート族へのアピール)”と題されて取り上げられることとなった。
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