紅白歌合戦辞退・アメリカ進出・日本での人気急落とは? わかりやすく解説

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紅白歌合戦辞退・アメリカ進出・日本での人気急落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 16:58 UTC 版)

ピンク・レディー」の記事における「紅白歌合戦辞退・アメリカ進出・日本での人気急落」の解説

カメレオン・アーミー」(1978年12月)もオリコン1位を獲得、これで1976年の「S・O・S」からオリコンシングルチャート連続首位記録が9曲となったそんな中1978年大晦日の『第29回NHK紅白歌合戦』への出場敢えて辞退日本テレビ系チャリティー番組ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』に出演する。しかし視聴率ビデオリサーチ関東地区調べ)は当時国民的番組であった紅白』の72.2%に対しピンク・レディー出演した裏番組8.2%と惨敗する結果となった。それでも前年度の『コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!なんてことするの!?』の6.2%を上回り善戦したともされるニューミュージック全盛期迎える翌1979年、「ジパング」(1979年3月)はオリコン4位に留まり連続首位記録がついにストップする。その後「ピンク・タイフーン」(1979年5月)と、「波乗りパイレーツ」(1979年7月)まではオリコンベスト10内を維持した。だが、ミーハー路線飽きられたのと、日本ではピンク・レディー代わる松田聖子など新しアイドル時代到来、また前代未聞紅白歌合戦出場辞退によりマスコミから激しバッシング受けたことや、更には事務所トラブルメンバー恋愛トラブルなど相まってしまう。 ただし、以前から進められていたアメリカでの活動は順調で、全米デビューシングルとなったKiss In The Dark」がビルボード総合37位、全米三大ネットワーク一つNBCゴールデンタイムで、自らの名前を冠する番組を持つなど確実に実績積んでいた。しかし、アメリカで契約更新することが無いまま帰国することとなり、再び日本での活動力を入れたものの、往時勢い取り戻すことは全くできなかった。こうした経緯から、アメリカ進出についても日本では失敗と言われることが多かったが、米国ピンク・レディーほど活躍した日本人歌手今のところ他には存在しない冠番組放送内容賛否分かれているが、米国内ではDVD化もされている。

※この「紅白歌合戦辞退・アメリカ進出・日本での人気急落」の解説は、「ピンク・レディー」の解説の一部です。
「紅白歌合戦辞退・アメリカ進出・日本での人気急落」を含む「ピンク・レディー」の記事については、「ピンク・レディー」の概要を参照ください。

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