紀元前204年にいたるまでのローマのアフリカ侵攻準備とは? わかりやすく解説

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紀元前204年にいたるまでのローマのアフリカ侵攻準備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:03 UTC 版)

ウティカの戦い (紀元前203年)」の記事における「紀元前204年にいたるまでのローマのアフリカ侵攻準備」の解説

古代リビュア現在のチュニジア)へのローマ最初侵攻第一次ポエニ戦争のときであった。このときはローマ敗北終わったチュニスの戦い)。それから50年後に、ローマは再びアフリカへ侵攻することになる。 アフリカへ侵攻は、第二次ポエニ戦争において当初よりの計画であったカルタゴ軍指導者であるハンニバルイベリア半島基地として、ガリア南部経由しアルプス越えて紀元前218年イタリア半島侵入した。これを迎え撃った執政官コンスルプブリウス・コルネリウス・スキピオスキピオ・アフリカヌスの父)はティキヌスの戦い敗北したもう一人執政官ティベリウス・センプロニウス・ロングスカルタゴ遠征予定していたが、急遽シチリアからガリア・キサルピナ派遣された。しかしトレビアの戦い敗北その後ローマ軍敗北続きカルタゴ本国への侵攻作戦放棄せざるを得なくなったその後の戦闘主としてイタリア半島イベリア半島およびシチリア行われ北アフリカ戦禍は及ばなかった。転機となったのは紀元前205年ころであり、ローマ軍カルタゴ軍侵攻防ぎきり、ハンニバル徐々にその同盟国失っていった。またハンニバルの弟のハスドルバル・バルカハンニバルとの合流目指しイベリアからイタリア侵攻したが、メタウルスの戦い戦死したカルタゴ軍シチリアからもイベリアからも駆逐されるか、アペニン山脈北西追い詰められた。カンナエの戦いの後、シチリア最大の都市国家であるシュラクサイカルタゴ同盟国となっていたが紀元前212年陥落しシュラクサイ包囲戦 (紀元前214年-紀元前212年))、ローマカルタゴ対す海上からの攻撃基地得た紀元前208年紀元前207年および紀元前205年には、海上からアフリカ襲撃している。 紀元前206年に、スキピオ・アフリカヌスイリッパの戦い勝利してカルタゴ軍イベリア半島から駆逐し正式な承認得られる前から、アフリカ侵攻次の目標とした。そのためには、スキピオハンニバル同盟者であるヌミディアシュファクスローマ側に誘うことが必要と結論したスキピオ紀元前205年執政官に選出されてはいたが、ローマ元老院からアフリカ侵攻作戦承認を得るための政治的努力行なっていた。最大反対者クィントゥス・ファビウス・マクシムスであり、アフリカ侵攻リスクが高すぎるとし、ブルティウム(現在のカラブリア州)に滞陣しているハンニバルとの戦い第一目標考えていた。スキピオ元老院に対してアフリカ侵攻こそがハンニバルイタリアから追い出すための最善策であると説得したにも関わらずスキピオには十分な兵力与えられず、シチリア新たな軍を編成したが、その準備1年間要したカルタゴは、スキピオ副将ガイウス・ラエリウス艦隊とともにカルタゴの西にあるヒッポ・レギウスHippo Regius)に送ったことに警戒していた。ローマ大軍による侵攻阻止するために、カルタゴ様々な手段講じたが、マケドニア王ピリッポス5世シチリア攻撃促す計画失敗終わり、ブルティウムとリグリア送った援軍も、イタリアで戦況逆転するには十分ではなかった(クロトナの戦いポー平原遠征)。ただし、シュファクスを寝返らせるというスキピオ謀略は、ハスドルバル・ギスコ政治的手腕と、その娘のソフォニスバ(Sophonisba)の魅力のために阻止された。

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