第13の哨戒 1944年6月 - 7月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第13の哨戒 1944年6月 - 7月の意味・解説 

第13の哨戒 1944年6月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:03 UTC 版)

スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第13の哨戒 1944年6月 - 7月」の解説

6月14日スレッシャー13回目哨戒でアポゴン (USS Apogon, SS-308)、ガードフィッシュ (USS Guardfish, SS-217)、ピラーニャ (USS Piranha, SS-389) とウルフパック "Mickey Finns" を構成し南シナ海向かったウルフパック指揮は、ガードフィッシュ座乗ウィリアム・V・「ミッキー」オリガン大佐が執った。担当海域に向かう途中ウルフパック航空機からの遭難信号受信6月27日現場付近に到着したが、落下式タンク以外は何も見つからなかった。その後7月11日レーダー輸送船団探知するまで航空機漁船しか観測しなかった。7月12日ウルフパックバタン諸島近海モマ01船団発見したが、スレッシャーのみは護衛艦邪魔され攻撃機会逸した。翌7月13日に4隻は再集結7月16日16時ごろ、スレッシャー北緯1915分 東経12015分 / 北緯19.250度 東経120.250度 / 19.250; 120.250の地点水平線上に昇る煙を発見。2時間後、大輸送船団であることを確認。この船団高雄からマニラに向かうタマC21船団だった。まずピラーニャ陸軍輸送船志あとる丸(大阪商船、5,773トン)を午前中に撃沈したあと、深夜23時ごろになってスレッシャー攻撃北緯1853東経11932分 / 北緯18.883度 東経119.533度 / 18.883; 119.533の地点貨物船西寧丸(大連汽船、4,918トン)と護衛艦に対して魚雷3本ずつ発射すぐさま反転して艦尾発射管から2番目の貨物船向けて魚雷を4本発射し、4回の爆発確認。この攻撃西寧丸を撃沈したスレッシャー魚雷再度装てんしたあと、2度目攻撃別の貨物船タンカー護衛艦対し魚雷発射直後爆雷攻撃があったが、スレッシャー3度目攻撃の準備急いだ3時45分ごろに3度目攻撃残っている貨物船タンカー護衛艦対し魚雷発射そのうち陸軍船祥山丸(興国汽船、2,838トン)に魚雷が2本命中しタンカーに1本命中したように見えた。祥山丸はあっという間に沈没していった。一連の攻撃スレッシャー全ての魚雷使ったため、ウルフパックから離れてミッドウェー島向かったスレッシャーは6隻35,100トン戦果主張したが、戦後の JANAC の調査では2隻7,700トンしか認定されなかったが、この行動に対して海軍称賛部隊章英語版)を授与された。7月27日スレッシャー44日間行動終えてミッドウェー島帰投艦長ジョン・R・ミドルトン・ジュニア少佐アナポリス1935年組)に代わった。

※この「第13の哨戒 1944年6月 - 7月」の解説は、「スレッシャー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第13の哨戒 1944年6月 - 7月」を含む「スレッシャー (潜水艦)」の記事については、「スレッシャー (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第13の哨戒 1944年6月 - 7月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第13の哨戒 1944年6月 - 7月」の関連用語

第13の哨戒 1944年6月 - 7月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第13の哨戒 1944年6月 - 7月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスレッシャー (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS