第13の哨戒 1944年12月 - 1945年1月
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「ソードフィッシュ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第13の哨戒 1944年12月 - 1945年1月」の解説
12月22日、ソードフィッシュは13回目の哨戒で南西諸島近海に向かった。ミッドウェー島で給油し、12月26日に同島を出航。この哨戒でのソードフィッシュは通常の哨戒任務に加え、来る沖縄戦に備えた沖縄島の海岸線の写真偵察を行う任務が与えられていた。1945年1月2日、ソードフィッシュは南西諸島海域での任務の遂行を、第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の沖縄に対する空襲が完了するまで保留する様命じられる。ソードフィッシュは北緯30度、東経132度を中心とする屋久島近海海域を中心に哨戒する様命じられた。これらの任務に関して1月3日に行われた通信が、ソードフィッシュからの最後の通信となった。1月9日、一連の空襲が終わったことに伴い、ソードフィッシュは特別任務遂行のため沖縄近海への復帰を命じられた。任務は担当海域到着後7日以内に完了するものと考えられ、ソードフィッシュは1月11日に海域に到着した。任務完了後、ソードフィッシュは無線での連絡ができない場合、サイパン島もしくはミッドウェー島に向かう予定であった。サイパン島に向かう場合は1月18日、ミッドウェー島に向かう場合は1月29日が到着予定日であったが、予定日になってもどちらにも姿を見せなかった。さらに2月15日になっても両島においてソードフィッシュは確認できず、無線連絡も取れなかった。ソードフィッシュは2月15日をもって喪失が認定された。
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