第11期三中全会から1980年代とは? わかりやすく解説

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第11期三中全会から1980年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 03:24 UTC 版)

中華人民共和国の経済」の記事における「第11期三中全会から1980年代」の解説

1976年毛沢東病没し、四人組逮捕される鄧小平権力奪取した。そして、1978年第11期三中全会改革開放路線採用され従来ソ連型の計画経済否定され市場指向型経済大きく舵を切った1980年代になると、中国政府中央集権計画経済インフレ失業財政赤字無し生産性生活水準技術水準増大させる為の市場指向型経済組み合わせようとした。中国政府人民公社解体し農民に、農作決定権与えるという生産責任制採用する農業改革実行したまた、農村部郷鎮企業といった非農業活動勧め、より自発的な国有企業経営推奨し従来中央の管理にあった)、市場競争強め中国大陸外国企業との直接接触促進した。その上中国政府改革開放以前の時よりも、外資輸入依存した中国の最高指導者である鄧小平1984年6月30日次のように発言した社会主義とは何か? そしてマルクス主義とは何か? 我々は過去、このことについてあまりはっきりとさせてこなかった。マルクス主義生産力増加させることをことさら強調した。我々が言ってきたことは社会主義共産主義第一段階であること、そして、発展段階では能力によることから必要性によることにいたるまでの原則があてはまるということである。その原則は高度に発達した生産力物質的豊かさ要求している。それゆえ社会主義段階への基本的な課題生産力増加させることである。資本主義体制下での生産力よりも早く大きく社会主義体制下での生産力増加することによって、社会主義体制における優越性示される生産力増加するにつれ、人民物質的・文化的生活は絶え発展する中華人民共和国建国後の我々の欠点生産力増加させることに気づかなかったのである社会主義貧困根絶することを意味する平等主義社会主義でなく、いわんや共産主義でもない — 英訳より引用者により重訳。 そして、1984年4つ経済特区北から廈門汕頭深圳珠海)と14対外開放都市大連秦皇島天津煙台青島、連港、南通上海寧波温州福州広州湛江北海)を設置し外資呼び込んだその後海南省経済特区指定された)。 1980年代の間、経済改革により農業及び工業生産高が毎年10%成長した農村実質所得は2倍になった中国穀物自給できるようになった農村工業農村における過剰労働力の吸収役立った様々な軽工業品々消費財増加した経済改革は、財政面金融面、物価安定労働市場の面で始まった経済成長暗黒面として、中国社会主義最悪結果官僚主義汚職財産権侵害)と資本主義最悪結果貧富の格差急激なインフレ)に直面することになった中国政府定期的に中央集権による引き締め緩和政策行った1988年終わりには、価格改革急速な進展によってもたらされインフレへの対応として、緊縮財政実行した

※この「第11期三中全会から1980年代」の解説は、「中華人民共和国の経済」の解説の一部です。
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